クインテットビショップの還幸
6章 グラナダ・ステファンブロー《死す赤き鷹の飛翔》
ふわり、舞う羽。
眩しすぎる北国の光の中、彼は一瞬驚いたように目をみはり――表情を消した。
「……何を、なさっているのですか?」
「人に会いに来たんだ」
冷たい声に、間髪入れず返す。
すると、彼は嘲るように口角を上げ、小さく息を漏らした。
「誰にです?
主様なら、おられませんよ。
弟君がお連れされたではありませんか」
「解っている。
俺の目的は、ベルトじゃない。
……赤翼だ」
はっ!
上がる哄笑。
ひとしきり笑うと、目の前の人はまるで憎いものを見るように顔を歪めた。
「知ってるでしょう、奴は《死んだ》。
主を護る為、己が忠誠の為に《殉職》した」
「だからこそ、言っているんだ。
《彼》を《出せ》。
亡きがらでもいい。
俺が、きっと蘇らせてみせる」
「無理ですよ何も出来なかった貴方には。
ピクリとも動かなかったくせに素晴らしい忠誠心ですねぇ。
貴方の主は誰ですか?
毒を飲まされかけたアーデルベルト?
嗚呼、アルベルト陛下の方ですか。
それなら納得もいく。
命令を害すのはいけませんからねぇ、ならばアーデルベルト様を殺す手伝いだってした筈だ。
はははっ、面白い」
掴まれた襟首。
寄る端正な顔に浮かぶ色は、壮絶な苛立ち。
二羽の鳶が羽ばたいた。
叫びに似た鳴き声が引き裂く。
主の怒りを、
憎しみを。
……嗚呼、そうだ。
おまえはそんな人間だったよな。
思い出せ、
思い出せ、
世界がどんな色をしていたのか。
人の血が、
憎しみが、
どんな形をしていたのか。
「見えぬ目で、何の役に立つ!?
今更!
剣すらも取れぬ身体で、何の騎士を名乗ろうか!
俺は……っ!
赤翼の騎士《ベルカ》は、あの日っ、間違いなく《死んだ》んだよ……っ!
毒を被り、失った視力の果てに狂死した!
そうだろう?
なぁ、青騎士ィっ!」
鳶が鳴く。
苛立ちに顔を歪め、《奴》は俺を捻り上げていた。
愛する人。
かつて志を一にした同志。
勇気によって命運を別けられた、かつての友。
俺は静。
奴は動。
実直と策略の螺旋。
交わることのない、交わってはならない平行線の双翼。
ベルトという主を軸に、欠けた今が異常だったのだ。
だって、ほら。
「……ベルトの目と同じだ」
赤と青。
どちらが欠けても成り立たない。
それが俺達の在り方だから。
掴まれた胸元。
包むように握り返せば、彼は少しだけ眉をひそめる。
「おまえでなく、俺であったならばと悔やんだ。
俺が死に、おまえが遺れば、いかに喜ばれたかと。
ならばおまえと同じことをやろうとしたが、それも無理だった」
「なら、おまえの目をくれよ!
同情なんていらないんだ……っ。
今の俺じゃあ、剣も振るえない。
騎士は盾だ。
剣なんだ。
なのに、今の俺に何ができる……?
ただ他人を疑い、自分を蔑み、おまえを怨んで生きていくだけだ……っ」
もとよりそうなるよう、仕向けられた生。
「おまえはどう思ってたかは知らないがな。
嬉しかったぜぇえ……?
ベルトは、最期にここを選んだ。
華やかな帝都でなく、ここを!
介添えに、おまえでなく、この俺を!」
赤は青に拮抗するよう仕組まれた。
対立すり王と王妃。
代理戦争は、皮肉にも、勇気ある片割れの敗退で終わった筈。
「戻って来てくれ」
「何を今更」
「おまえには、別に才能がある」
「目が見えなくともか!
ここでなければ、日常生活もままならない」
「俺が手伝う!
だから戻ってくれ!」
「できない。
こんな俺に何をしろというんだ!」
「作戦を立ててくれ。
戦局を打開して欲しい」
「俺に何の関係がある!
隠居した身だぞ」
「国境が変わるぞ」
「そんなの関係ない!
こんな辺境、国が変わろうと何も支障なんかないのでね」
「国が亡くなるんだ!」
「知ったことか。
ベルト以外、今更何の未練もないね」
「そのベルトが悲しむんだぞ!」
「だったら、本人を連れて来いよ!
何でおまえの口から……っ」
握った手に力が篭る。
言いかけた身が強張り、言葉を失った。
激情を過ぎ、篭められた力に、俺は。
縋り付くように頭を垂れていた。
「頼む……っ!」
「……あの頃とは違うんだ。
俺は……おまえの不幸を、心底喜ぶような人間になってしまった。
おまえを蹴落とし、死に逝く主を止めようともせず、暗い、優越感に囚われるような人間だぞ」
「……あいつの、悲しむ顔を見たくないんだ」
もう一度、小さな懇願を落とすと、痛々しく顔を歪めた彼は、暗く、ため息をついた。
「……だから、俺はおまえが嫌いなんだよ」
鳶が舞う。
何やら変化を感じ取ったのか、舞い降りた巨体が愛らしく首を傾げた。
「……軍服なんか、どこに置いたかわからないぞ」
囁かれた声に、弾かれたように顔を上げた。
バツの悪い子供のように肩をすくめたもう一人の騎士は、握られた手を剥ぐと、身を翻した。
響く靴音。
鳶は盛大に声を上げ、飛んだ。
「くっそ……!
こうなったら、意地でも遊んでやる。
ぐっちゃぐちゃにしてやるから覚悟してろよ……っ!」
鮮やかな徽章。
赤き石組み込まれたそれが再び姿を現す時、それは死と雪国の番人としての青ではなく、返り血すらも羽織りあげる緋色の軍服が日の下へ曝されるのだ。
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