クインテットビショップの還幸
第5章 罠撒く人の子、罪つくりの庭
「どうだか。嘘つきは綺麗な嘘を必死こいて並べるものです。態度がどうであれ、到底信じられはしません」
「弱りましたね……妥協点が見つからない」
がなりたてる罵声の中、兄貴がこっそり耳打ちした。
彼自身は分隊長を助けたい一心なのだろうが、こちらは一抹の不信がある。
……この目で確認した《証拠》が。
「……ねぇ、兄貴」
不思議そうに目を細めた彼に、囁きかける。
分隊長を信じたい。
でも、不安が拭えないのも事実なのだ。
状況を組み立てると、綺麗な図式になってしまう。
分隊長が悪者に、確定してしまう。
だから、これは疑念の排除。
ただ一言、「それは違う」と言って欲しい。
自分の疑念の正体を晴らそうと。
しかし、僕の話を聞いた兄貴は、さっと色を無くし、表情を険しくしたのだ。
「それは……」
しばし内容を咀嚼して、彼は身を寄せてくる。
話を漏らすまいと。
「有り得るかもしれません」
「なんで?
元王だから、この国の人じゃないか。
祖国を裏切るなんてことやるのかな」
「今回の儀は唐突だったとの噂です。
表向き自ら王座を渡したようですが、先々代の公約とはいえ、もし閣下自身が不服を感じていたら?
ベルンバルトの崩壊は、新たに王座へ返り咲く起爆剤たりえます。
加えて、現在交戦中の主導者は、かつて三国条約によって友好を深めた旧友。
…………ありえない話では、ありません」
ぞっとする。
まさかの肯定。
疑念は確信へ、少しずつ、少しずつ近づいてゆく。
もしかして、いや、まさか分隊長が傾国の……。
「お待ちなさい」
騒然とするさなか、凜とした声が引き裂いた。
一同の視線が集まる。
渦中から逃れるよう、片隅に引き下がっていた男が告げたのだ。
いつの間に現れたのか、部下と思われる人物を傍らに、今までの憂いを含んだ表情と打って変わった鋭い視線を走らせる。
「そんなことをしている場合ではなさそうですよ」
示された紙片。
隣国王家の正式文書を示す割り印の赤が走る。
「……先代王の引き渡しを求める文書です」
「……ブライトクロイツ閣下をですか?」
言い争いを繰り広げていた片割れが、訝しげに顔を歪めた。
「そんなこと、できますまい。閣下は、帝都だ。こんな辺境の為にお出まし願うなど……条件は何です?」
「我々の部隊を、本隊から切り離すこと、と」
「……それは」
「……ああ。もはや、我々が生き残る術は、閣下に敵前へ立っていただく他にないだろうな」
卑屈な小男は、分隊長との言い争いを切り上げ、ちっと一つ舌打ちをした。
八方塞がり。
状況打開の方策は少ない。
「帝都への道は?
分断ということは、潰される可能性が高い訳でしょう?
可能ならば、使者を送って……」
「今のところは大丈夫だ。
……だが、無理だろうな。
期限を切られた。
二日以内だ。
馬を飛ばすとはいえ、この間に帝都まで行き、閣下を連れて参じるのは不可能に近い」
「では……っ!」
「ああ。もはや、死亡通告なんだよ」
二人が声を沈ませる。
遠い喧騒の中、重い沈黙が落ちた。
どこかでは、命をかけて持ち場を守っている仲間がいる。
だのに、その努力はもはや……。
「……ったく、難儀なこっちゃなあぁ……」
重い空気の中、落とされた呟きは、小さな独白だった。
ちらと元を辿れば、近場の岩に腰をおろし、苦渋に空を仰ぐ姿。
その手が僕の方へと伸ばされ、無言のうちに煙草を要求される。
非喫煙者である僕に配給される煙草は、ほぼ分隊長専用のようなものだから、動作も慣れてる。
懐から取り出して、くわえたまま火を点けると、自分は吸わずにその手に渡す。
分隊長は、礼どころかこちらを見るけともなく受け取ると、ひとつ吸い、ふたつ吸い。
盛大に煙を吐き出して、「よし」と一言、懐から何かを取り出した。
閉ざされた密蝋。
乱雑に破いて開き、中から質のよさそうな純白紙を取り出した。
噂の手紙。
証拠たりえる、疑惑の紙。
胸元、さしたペンを取り、己のサインを書き付ける。
流れるような文字で。
無学だった僕が、僅かながらも読めるのは、彼が教えてくれたから。
だから、書き付けた内容は読めずとも、最後の文字くらいは読み取れた。
《ヴァン・メッサー》
勝利の女神に愛された人。
腰に下げたナイフを手に、 するり、鮮やかに翳す。
磨き上げられた刃面が、美しい青を写した途端、鋭い刃先が手にした人差し指に食い込む。
さしたる抵抗もなく、ふつりと浮かび上がってきた鮮血が、埃っぽい大地に染みてゆく。
ぞんざいにナイフを捨てて、分隊長は広げた白紙に向き直った。
書き付けた文字列すら構わず、伝う鮮血、描いたのは。
《円印に、右上がりのF》
その紙を丁寧に畳み、再び封筒へ納めると、分隊長は漸くこちらへ目を向ける。
にこり、細められた目。
空色の青が、揺らぐ。
大きな手が僕に触れ、わしわしと髪を乱してゆく。
いつもの分隊長。
いつもの、でもそれはどこか未練がましくて、上手くは言えないんだけど。
「トア、最後のお仕事だ」
僅か、目尻にシワが寄る。
そういえば、分隊長っていくつなんだろう?
快活な姿に屈託のない無邪気さは、歳の差など感じさせないのだ。
だから、少しだけ。
反応が遅れたのだ。
「帝都に行き、東区の酒場に行け。
そこに、《シリウス》って親父がトグロ巻いてるはずだから、そいつに『メッサーの使いだ』と告げるんだ。
恐らく奴なら、解る。
便宜をはかってくれるだろう。
そしたらこいつを、《ライマー》って奴に渡せ。
いいな?
ライマー・デルンブルク。
他の奴には、絶対読ませるな。
……まぁ、読んだってわかんねぇだろうがな」
握らされた封書。
滑らかな手触りに、突然恐怖感が湧いた。
ちょっと待て。
今、分隊長は、《最後の》、と、言わなかったか?
怯えを浮かべているであろう僕が口を開く間際、分隊長はぐいと力強く僕の頭を撫で付け、声を落としたのだ。
強く、凛然と。
「……さぁ、坊主。
俺様が奇跡を見せてやるよ」
かかる影に、何故だか目尻が熱くなった。
服の裾を翻し、分隊長は踵を返した。
あっと息を呑んだ矢先、敵前に踊り出た身体。
僅差を鋭い矢が走る。
大地に突き刺さった弧。
これだけ瞬時に返せたのだ。
たった一人の兵士など、直ぐさま射ぬけるであろう。
しかし、次の矢は襲わない。
不気味な程の沈黙が落ちるだけだ。
一度ぐるりと頭を巡らせた分隊長が、ため息一つ、飄々と足を進めだす。
戦場の真っ只中。
歩む足音はひとつ。
「分隊長っ!」
「出て来んな!」
異様な空気に身を乗り出しかけた時、眼前の背中から罵声が飛んだ。
いつにない気迫に気圧される。
「しかし分隊長、このままでは危な……」
「俺なら大丈夫だ、絶対討てやしねぇよ。
ただ、おまえらは髪の毛一本出すなよぉ?
討ち死にしたくなきゃあな」
「なんでそんなこと……っ」
「あいつの手を一番よく理解してるのは俺だからだ」
すっぱりと言い放ち、分隊長は少しだけ笑った。
「なぁ!
どうせいるんだろう?
カミーユ・ビュケ王子様よォ!」
声を張り上げ、片腕を腰に。
横柄な態度。
僅か瞳を閉じて、次の瞬間には。
ぬらりと。
絶対的な、悪意。
気圧される。
息すら止まる。
まるで、まるで別人物――。
見知った人の変わりように驚いていると、僅かざわめいた敵陣から、からからとよく通る笑い声が響いた。
まるで恐れることのない。
不意に、あちらからも一人。
豪奢な装束に身を包んだ彼は、黄金の髪を風に遊ばせ、目の前同様、まるで臆することのない視線を上げる。
「半分疑ってたんだが、本当だったんだなぁ」
堪えきれない涙を拭い、彼は笑いに折り畳んでいた身体を伸ばした。
「だが、君らしいよ。アーデルベルト」
口端を上げ、聞き慣れぬ単語を落とす。
余りに突然のそれに、一瞬頭が真っ白になった。
それが指すものが、一個人の名前だということに気付くまで、相当。
その間にも、仁王立ちになった分隊長は、バツが悪そうに頭を掻いて、不服に口を尖らせる。
「……その名前で呼ぶなよ」
「嗚呼、そうか。
今は《ヴァン・メッサー》分隊長閣下だったっけ。
懐かしいな。
おまえが王宮から追い出す口実に送られた、初めての戦線で使っていた名だ。
今では隊長、一兵卒からのたたきあげねぇ。
実に素晴らしい」
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