クインテットビショップの還幸

第3章 狡猾な愚者――鎖は絞められ憐れな神を括れ



「……ネインクルツが敵方に付きましたか……」

苦々しく吐き出された吐息は、重い。
しかめられた眉と、目の下浮いた隈に心労が見て取れるようだ。

「あのデッテンベルガー公が、簡単に屈するとは思えねぇなぁ。何か裏が――」

「何があろうと、それが国家です。我々が責められることではない」

少年の悲嘆に応じるように肩を竦めたのは、公示と共に帝都まで飛んで来た北軍長。
彼の言葉を遮り、騎士は言い放った。
そう、生きている限り永遠に裏を探り合い、国益の為なら平気で他者を蹴落とし自分を犠牲にする。
それが、彼が寄り添ってきた、主の住む世界だった。

「だが、実際攻め込まれたら面倒だぞ。
アーデルベルトはいない、士気も上がらないじゃあ、勝てる戦もどうなるか」

「ベルトは、ある意味精神安定剤だからな……。
独裁恐怖政治の影に、奴がいる限りこの国は大丈夫だという自負がある。
国民一人一人にな。
軍人なんかは特に顕著だ。
奴の実力を崇拝して、後ろ盾にしている。
《だから大丈夫だ》という理由づけは大切なんだ。
安心は、勇敢さに。
そして、大胆さに化ける。
そんな軍団は、敵を圧倒するのもたやすい」

「いい例が、俺たちの特務部隊だよなァ。
うちの兵は、あの若造が選び集めた精鋭だ。
元々が傭兵なんて、ゴロツキ紛いの仕事してた奴らだかァ、国に未練なんてありゃしねぇ。
報酬さえ貰えりゃ敵にもつくような奴ら、纏め上げんのは、言っちゃああいつの人徳さぁ。
野蛮には、野蛮を。
あんな奴らは、自分より強い奴が好きだから。
小綺麗に固まりやすい政権者なんて奴らの中で、顔をしかめられてきてる。
豪快にして豪傑、俺たちに気がねさせないだけの野卑さを備え、全幅の信頼とそれに見合う実力すら持ち合わせた人間なんか、そうそういねえ。
ある意味宗教だよな。
あいつが退任した時だって、離散間際にまでなった。
奴の存在をちらつかせることで、隊を率いない状況でも何とか繋ぎとめられはしたが、隊の主力四分の一は離隊した。
あいつというのは、それだけ特務部隊には大きなものなんだ」

うっすらと目を開き、呟いた特務部隊長に、再び少年はため息をついた。
一応、合議的に一人前と認められたとはいえ、齢十五のあどけない子には荷が重すぎる。

「とにかく、当事者のいない契約はしてはなりません。
結婚なんて大きなものならば、尚更」

「なら、どうすんだよ? 期限も近いぞ」

「…………黙殺します」

一同が黙り込んだ。
その末路は一つだ。
明言されている以上、必ずそれは、起こりえる未来。
急に敵国が哀れになったから止めてくれる、なんて甘い国でもない。
要請が受け入れられなかった時の代償。
それは、

《侵略戦争》でしかないのだから。

「実際に、攻め込まれたらどうする?
西だけならともかく、挟まれた二国を相手にするのは、ちと厄介だぞ」

「やるしかありません。
彼らが、その手段を取ってくるならば」

「西は、まぁ緊張体勢で装備兵力も常備していたからいいとして、東は厄介だぞ。
ネインクルツは友好国だったから、殆ど軍備はないに等しい」

「東が切り崩されたら厄介だな。
いくら西が守っても、背後を取られることになる」

「特務部隊を差し向けます。
シリウス大隊、行っていただけますね」

「それはいいけどよぅ……。
そうなると、あれだぜ。
中央軍の力が格段に落ちちまう。
もしどこかを突破された時、一気に都を落とされる場合がある」

「ならば、北も兵を出そう。
半々でどうだ?
我が隊は大所帯だ。
それに、洗練されている。
中隊程度抜けようが、瓦解はしない」

「ひゅう!
やぁーさしいねぇ」

「伊達に年中、大連邦といさかっていないさ」

進んでゆく論議。
その渦中で、責任を負うべき少年は一人静かに瞳を閉じた。
兄なら、どうするだろう?
あの人のこと、喜んで軍備を固めるだろうか。

……分からない。
とりあえず今できることは、予測できる最悪を見据えながら、望み薄な希望を祈り続けるしかない。
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