クインテットビショップの還幸

第10話 蛮行、後にくる人望



ずかずかと、勝手に進む背を見つめる。
身長はさして変わらないというのに、つい駆け足になってしまうのは、きっと普段が違うから。
彼らは駆ける。
僕らは歩く。
やるべきことが山積みな彼らは、一瞬でも時間が惜しい。
良い王で、民らの羨望で、良い指揮官でなければならない僕たちは、何があろうと焦ってはいけない。
主が焦れば、臣下が不安になるからだ。
何度目だろう。
小さくなった背に、再び駆け出そうとして、唐突にその背が振り向いたことに気付いた。

「ねぇ!」

鋭い問い掛け。
思わず、砂が舞い散る地に足を止めた。

「あんた、ホントに何も知らないの?」

「えっ……」

言葉を失う。
距離が詰められることはない。
雑踏は、僕たちだけを避けてゆく。
少女はしばし躊躇って、呟いた。

「……知りたい?」

真実を、と。

「勿論」

答える。
僕は知りたい。
知らなかった兄を、避けていた兄を。
僕の世界の全てだった人。
けれど僕が解ろうとしなかった人。
少女は小さくため息をつき、「私も、聞いた話だけど」と前置きをして、失われた物語を綴り始めた。


十五年前の話よ。
私たちの民族は、南方の果てにちかい山岳地帯にひっそりと住んでいたの。
領土的にはベルンバルト。
けれど、私たちは相いれるものじゃなかった。
貴方たちは、唯一神を敬う敬謙な信者だったから。
教会を造り、神を崇める信者だったから。
私たちは長らく森と生きてきたから、全ての物には神が宿ると思っていたの。
木にも川にも、草、花、魚、獣――。
私たちは、生きるために彼らを殺す度、地に落ちた枯れ枝を使って、その神に感謝の供物を捧げる。
中でも、森の王とされる狼を敬ったわ。
東から南にかけて続くそれを治めるということは、この国全土を治める神に等しいんだもの。
多信教と唯一神。
元から相いれるものではなかった。
けれど長らく私たちはぶつかることはなかったの。
歴代の王たちは、私たち民族が動かぬ限り不可侵を続けていたし、私たちも自己完結して領地以外に出ることすらなかったわ。
並行線は、いつまでたっても並行線。
私たちは、お互いの存在に干渉しないことで、私たちはお互いの平和を保っていた。

でも、それをよく思わない人がいたの。
アルベルト・ブライトクロイツ二世。
貴方のお父様ね。
彼は、自分の国を完全に統一したかった。
思想、宗教、民族――。
私たちは、その何れにも合致しなかった。
異端だったの。
そして、12年前。
王であった貴方の御祖父様の喪に上じ、まず南の飛び地となっているベルンバルト保護領「エレスレム島」を武力征圧し、自治権を剥奪、反乱した領民を助ける名目で、故エレスレム女王を幽閉した。
南の不可侵地帯で反乱が多いでしょう?
あそこは、近隣諸国の軍隊不侵入協定があるから、たいていの反乱軍――ほとんどが人民なんだけど――は、大手を振って編成される。
ベルンバルトを襲う者の多くは、このエレスレムから来た者が多いわ。
波に乗った政府は、各地に所有する領土を征圧。
改宗と思想教育の徹底を行った。
そのほとんどが従ったわ。
ベルンバルトの軍事力は甚大だものね。
国外を終えた彼らの目は、次に国内へと向けられた。
不可侵と暗黙の了解によって暮らしていた、いくつかの少数民族。
国内であろうと情報に疎かった私たちは、気付くこともなかった。
そして、十五年前――。
年若い少年がコミューンの境界へとやって来たの。
きらびやかな軍服と、豪華絢爛な軍旗を携えて、ね。
青年と少年の相半ばのような姿だったと聞いた。
彼が、黒い軍馬に跨がり、颯爽と現れたの。
従えていたのは、たった二人。
二人とも、同じ齢程だったそうよ。
彼は、二人を少し間を持って待たせると、入口に立って空を仰いだ。
集落の中央には、祭壇と呼ばれる大きな塔が建っていてね。
彼はそれに。
深々と頭を下げた。

「それが、貴方の兄。当時の討伐軍司令官、アーデルベルト・ブライトクロイツ閣下だった」

遠くを見つめ、まるで過去に恋でもするかのようにうっとり呟いた少女を見つめ、僕は息を呑んだ。
まさか。
兄は、極悪非道、女子供であろうと感慨もなく切り殺す、そんな人間ではなかっただろうか?

「閣下は、私たちの神にでも、ちゃんと敬意を払って下さった。そして、おっしゃったの。《大事な話を致しますので、聖域立ち入ることをお許しいただけませんでしょうか》」

対応に出たのは、我らが族長と数人の長老たち。
大人も子供も、遠巻きにして見守ったわ。
なんと言っても、均衡が破壊されたのなんて、何十年ぶりだもの!
彼は二人の従者を呼び、まず己の剣を差し出した。
二人も従い、彼等は完全に敵意がないことを示して見せた。
話始めたのは、閣下本人だった。
自分は、王位第一位の王子であること。
現在は軍司令官についていること。
年若く、信用できないであろうことも承知で、話を聞いて欲しいこと。

《現在、我が王は諸問題の整理を行っております。
その中に、貴方がたのことも含まれておりました。
異なる宗教を欲し、異なる思想をもつ、出生の違う民。
あなた方は今、我が父に危険視されています。
他の民は従いましたが、父はことに貴方がたを疎んでいます。
そして、昨今。
【対話は不要。根絶やしにせよ】という通達が全軍指揮官に通達されました》

寝耳に水だったわ。
私たちは、上手くやってきたと思っていたもの。
それを突然、私たちの民族だけ、改宗要請も通達もなく駆逐すると言われたようなものだから。
言われたところで、改宗したとは思えないけれど、でも。
表向き、改宗したように見せることくらいは出来る。
他の民族みたいに。
けれど、私たちにその選択はなかった。
ただ、【今から殺される】という事実しか。
何故と長老が問うたわ。
何故。
何故我々だけが、違ったのか、と。
閣下は暫く考えて「恐らく、貴方がたが崇拝するのが、狼神族だからでしょう」と答えた。

《急遽編成された討伐隊は数にして二百。
そのまま戦場へ出しても不可能なく戦えるだけの数です。
小さな集落を落とすには、多すぎる》

歩み出たのは、少年のうちの一人。
紅眼鷹章を付けた、王族騎士――。

「ちょ……ちょっと待って、紅玉鷹章? そんなもの持った人、いるの? 兄さんの記章持ちの騎士は、デルンブルク将軍の碧牙狼章だけで……」

「言ったでしょう? 彼の傍らには、《二人の騎士》が控えていた。騎士記章っていうのは、それが、誰に従う人間なのか、そして誰に遣わされた人間なのかを示す物よ。たいていは、歴代の王に次代の王が幼くから与えられる絶対服従の配下。彼らは、他人という部下を統率する訓練を経て、支配者としての経験を積むの」

「え……ええ。後、戦場で最後の砦と背を任せるだけの信頼も。けど、兄の騎士は一人だけだ。飢狼を意味した父から授けられた碧牙狼章のライマー・デルンブルク。埋められた輝石が、鉱石アレキサンドライトの異名を持つ兄に仕えることを表している、と。鷲なんて――」

「それは、あの方が《お父様から》つけられた騎士よ。ベルンバルト生え抜きの駿馬。鷹は、また別の者が彼自身に与えたの。記章を与えられるだけ高貴で、あの方を憂えるだけ身近で、碧牙の表す支配の青を疎む者」

――クローネ・フィデリティーナ・ブライトクロイツ。

「故……っ、クローネ女王……っ?」

「そう。青は静。実直であり、盲目。与えられた使命のみを果たす、思考を失った、人の姿をした兵器。赤は動。狡猾に立ち回り、見えぬ場所で主の望みを叶えてしまう愚者」

年若い彼らが生き残ってくることが出来たのは、そのバランスが絶対だったから。
少女は呟き、足元の小石を蹴った。
からからと音を立て、小路の先へと消える。

赤の騎士は言った。

《我らが主は、あなた方を救うことを決断されました。
北の国境。これを越えれば、あなたたちと同じ民族が少なからずいる筈です。
北の山を越えねばなりませんが、このまま国にいて、みすみす殺されるよりはましでしょう。
国境までは、遠方待機させている我が軍が護衛致します。
さぁ、早く荷物を纏めて下さい!
アルベルト陛下に見つからないうちに!》

「えっ……でも、兄は討伐軍の指揮官だったんじゃ」

「そう。私たちを殺さんと組織された軍に、私たちを護衛させようっていうの! 国から逃がす為にね」

あの人は、そういう人。
付け加えられたそれに、何と無くの嘘寒さを感じた。
兄は、そんな人ではなかった。
平気で人を殺し、拷問にかけ、王座で踏ん反り返っている。
たくさんの虐殺を指揮し、敵兵を殺し、国民を押さえ付けて、そうやって時代を生み出してきた破壊者。
父は僕に優しかった。
少なくとも、よき父で、よき王だった。
父が崩御するまで兄の存在を知らなかったのは、兄が戦場に出続けていたからだ。
王室より、戦火を好んだ。
平和より、混沌を。
だから、僕は彼を知らない。
突然現れた神に恐れ戦いただけだ。
しかし、これでは完全な真逆だ。
寧ろ、破壊者は父の方だったというのか?

「彼は、とにかくの貴重品だけを持った民たちを、長い旅路に連れ出した。最後に長老だけを呼び出して、青の騎士に命じ、村に火を放った。
彼は……長老が促すまで、ずっとずっと、燃え落ちていく村を眺めていた」

「南から、北まで」

噂に名高い、過酷な行軍。
水も与えず、

「あの方は、決して馬を使わなかった。己だけが楽を出来るかと、促す騎士を叱責した」

休息も取らせず、

「この計画がバレてはならない。申し訳ないが、休みは最小限にしかできないと、彼は悔しそうに吐き捨てた。そして、子供や老人等、限界の者をみつけたら、背後控える軍勢に、手を取らせ、荷を持たせ、馬に乗せろと命じてやった」

過酷な北の雪中行軍を挙行して、

「北の入口であの方は、悪いがここまでしか行くことはできないと目を伏せた。それから各軍に装備の解除を指示して、」

――そうあの方はね、私たちに持っていた全てのものを与えてくれた。

食糧、馬、武器に防寒具も。
持たせて下さった食糧のおかげで、私たち一族は飢えはしなかった。
置いていって下さった馬のおかげで、一人として落伍する者はなかった。
武器は追の住家で金品に変わったし、防寒具を着込んだ為に何日もの山越にも耐えられたの。

「私は小さかったから覚えていないけど、母はことあるごとにそう言ったわ。あの方のおかげで、私たち民族は殆ど欠けることなく生き残ることができたのよ、と」

「……嘘」

そんなの聞いてない。
そんな歴史、知らない。
僕が知っているのは、教えられてきたのは、残虐で、無慈悲て、しかし神懸かりの軍神。
民族を粛正し、過酷な雪中行軍の末、5人ばかりを残し淘汰した死に神。
そして、最後には残った5人すら、笑うように始末した化け物。

「なら……それなら、帝都で殺された5人はどうなるんです! 彼らを最後に、あなたたちの民族は死に絶えたんだ。僕はそう教わった。すくなくとも、ベルンバルトではそうだ!」

使われない虐殺器。
出口のある密室。
消え去った筈の民。
彼らは奪った側である兄を信じ、崇拝する。
全ての事実が崩壊する。
失われた真実は虚実と入り交じり、もはやどれがホントウか解らない。
僕は思わず叫んだ。
やめてくれ!
頭が痛い。

「……赤の騎士が言ったの。【しかし、全てが死んだでは納得しますまい】って。
【俺が情報を操作するとしても、全てを隠し通すのは至難の業だ。幾人か生き残りがいたほうが尤もらしい。陛下の目も欺けるだろう】」

初めはあの方は、反対された。
一人でも欠けては、助けたことにならない。
それでも騎士も引かなかった。
多分それだけ、あの方を守りたかったんだと思う。
そうして募られた有志を、あの方は、五人だけ選ばれた。
老人を中心に。
難色を示した騎士に、彼は淋しそうに呟いた。

――父が見るのは数字だけだよ。……いや、それすら見もしないか。

「確か、あなたたちをはじめ、兄に粛正された民の生き残りは、いつも5人……」

そう、兄は厭味な程きっちりと5人を残した。
彼らは、帝都で殺されるのだ。
人々は、悪魔と呼び表した。

「……せめてもの抵抗だったのかもね。若しくは、気付いて欲しかったのか」

肺から、空気が逃げる。
あ、
あ、
あ、

《真実を》

闇。
聞こえてきた言葉。

《許せるのに》

許す?
許す、って一体。
兄は、
彼はどこだ。
戻らなきゃ。

「帝都に」

そして。

「真意を聞き出さなきゃ」
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