現行犯逮捕。初メ、罪状ハ不法侵入及ビ銃刀法違反ダッタ。

 後、所持品カラ、小規模トハイエ爆発物――火薬ガ発見サレル。

 ソノ製法ノ特殊性ト、材質、加工技術カラ、一連ノ爆発物事件ノ犯行ニ使ワレタモノト同型ト判明。追ッテ逮捕サレル。

 本人ハ、今回ノ目的ハ爆破デハナイ、ト証言。

 予断ダガ、アノ破片モ見ツカッタ。

 中央ノ円形ニ放射状ノ斜線。

 少ナクトモ、彼女ガ一連ノ事件ト密接ナ関係ガアルコトハ、揺ルガナイ事実トナル――。

 

「だからあ、僕がテウォンなんだってばぁ。何で信じてくれないかなあ、もう……」

 ふて腐れたように女は頬を膨らませる。その姿には、あの日料亭で見せた艶は微塵も無い。むしろ幼い子供のような印象を与えていた。

「……随分性格悪いじゃないか。間宮の話とは別人みたいだなァ」

狐塚の頬が引きつっている。

「だあってぇ、僕、狸だもーん! あははははっ」

 どれほどこの押し問答が繰り広げられただろう。すでに相手のペースに飲み込まれたのか、狐塚は話題が戻るたび、すでに判明している事柄すら確認を繰り返している。元々自分のペースの確立されている狐塚にしては珍しい。

「年齢」

「たしか、二十六」

 書き付けていたペンが止まる。真一は思わず顔を上げた。

 驚いた。女性は大学を出たら早々に結婚するのが常識とされた時代、女の一人歩きどころかピアスを開けることすら断固とした糾弾にさらされる時勢である。まさか女が敵国のスパイをしている、ましてや二十六にもなって独り身など考えられないと血の気が引いたのだ。その常識こそ、長年自分を苦しめ続けている諸悪の根源であると気づくのにはもう少し時間がかかるのだけれど。

「本名は」

「ハン・ヒャンミ。ノ・テウォンは、僕の仕事上の偽名」

「しかし、男の名らしいじゃないか」

 女と向かい合うように立った狐塚が、机に手をつき覗き込むように睨み上げる。だが、目の前の容疑者は今までに無いほど余裕を持って、ふんと鼻で笑って見せた。

「そこが君たちの敗因だよ」

「敗因……?」

 呻くように反芻した狐塚の前に、まるでピースサインのように二本指が示された。

「そう。君たちは二つ間違いを犯した。ゲームでは致命的な間違いをね。一つ、僕のことを『ノ・テウォン』という名前だけで男だと断定したこと。ノ・テウォンは対日潜入員の中では元締めの存在だ。そうなると、表に出る必要も殆ど存在しない。人の目に触れることが無いんだから、男女の違いなんてあんまり関係がないんだよ。それに加えて、男として追われる僕は、すぐさま身を隠せる。事実、君たちは僕を女だと思いもしなかっただろう。君たちは僕の作戦にまんまと乗っちゃったわけだ。ふふふ、ご愁傷様」

何処までもふてぶてしい態度にじれた狐塚が、「なんだと!」と怒鳴り声を上げ、狭い机を力任せに叩いた。あーあ、凄むのは知能犯係の専売特許だってのに。あれはむしろ、落とそうというより、完全に切れている。

「そんなわけないだろう! もっと上に誰かいるはずだ。事実上、お前が言う『対日政策の総元締め』がな。確かにお前はあの晩あそこにいた。立派な現行犯逮捕なわけだ! どうせ罪は変わらん。庇う理由もないというもんだ。さっさと話せよ。お前じゃないんだろ! ノ・テウォン本人は!」

 背が高いだけあって、狐塚が怒鳴り散らすとそれなりの迫力がある。一般人ならすぐさますくみあがってしまっただろう。実際、こんな尋問のしかたは法にふれるのだが、目の前の女が現行犯な上、全くといっていいほど自責の念を感じていない態度に時間を取られれば、どんな出来た人間でも怒鳴りたくなる。手を出さなかっただけ、狐塚は利口だと言えた。

 しかし、目の前の女は落ちない。へぇ、そんな手で来るんだ、と絶えず挑戦的な目を向けてくる。

「脅したって無駄だよ。僕らは、一般人とは違うんだ。君たちは知らないだろうケド、敵の手に落ちたって決して口を開かないよう、骨の髄まで教育を受けている。実際、他国に潜入してドジ踏んで、見るに耐えない拷問を受けたも奴もいる。でも、皆口を割らないんだ。教育がそれを許さないから。

それにさ、考えても見てよ。ここは日本。戦争を忘れようとするあまり国家としての残虐さを捨ててしまった国だよ? そんな国で、本当の苦役なんて存在すると思う? ならば、君たちは僕を死刑台に送れるのか? まさか、僕は人も殺していない。だったら君たちは、ずっと僕を閉じ込めるんだ。まさかね。君たちにはそんな権限ないでしょ? ほら見てよ。僕は自由だ。今はそうでなくても、必ずいつかは自由を手にする。この国で僕は裁かれない。

僕が捕まったのが日本じゃなきゃ、簡単に殺されてるだろう。その前に口を割らせるための文字通りの『拷問』だ。肉体的苦痛どころか、どうせ殺す人間、四肢が欠けたってかまやしないのさ。自白剤ぶち込んで、それでも吐かなきゃ、待つのは薬漬けのモルモットか、僕は女だから、それなりに飢えてる奴らの餌食ってもんだ。どうだ、それに比べたら生易しいことこの上ないだろう。この国は優しくなりすぎた。やさしいというより、骨抜きだな。だから、僕は怯えない。吐かない。もっと薄汚くて恐ろしい世界を知っているから。もっと恐ろしい目に合わされても生る覚悟があるから」

 壁際に据え置かれた事務机に向かう真一は、困ったように壁の一角へと目を移した。こちらからは鏡にしか見えない壁の先、食い入るようにやり取りを聞いているであろう熊の存在も、手際の悪さに怒鳴り散らしているに違いない芹沢の存在も、今はただ遠い。防犯の関係上、大きく開け放たれた扉の奥も、今日は妙に静まり返っている。まるで、世界がこの場だけ切り取られたかのようだ。

「あのねェ。日本じゃスパイは裁けないの。分かる? 罪状付けるにも、出入国管理法か、外国貿易管理法つけるのがせいぜい。いい? 日本じゃスパイ行為自体に罪はないの。僕だって、裁かれるとしてもこの二つに住居侵入、銃刀法違反、あと証拠が示せれば破壊活動くらいかしら。ほら、軽い。甘っちょろい。僕は死なない。

僕が言っていることは間違っているかい? もしそうなら、指摘したらいい。もしかしたら、僕も真実を話す気になるかもしれないよ」

 うっとりと目を細める。そうだ、この女の言っていることは、間違ってはいない。むしろ、感情的に噛み付く狐塚のほうが、理屈とは縁遠く見えてしまう。

ぐうの音も出せない二人の男へと交互に視線を移し、錆びの浮いたパイプ椅子で思い切り伸びをした女は、まるでくだらないといった風に頭の後ろで手を組み、重い瞼を閉じた。

「僕らだって命かけンだから、君らのルールくらい学ぶ。いや、むしろ下手な日本人より知ってると思うよ。現状日本の弱いトコ」

人に会う必要もないからなのか、全くと言っていいほど化粧を施していないが、元がよかったのだろう。くりっとした目は、出会ったころの風情を捨て、だがしかし紛れも無く美しい光を放っている。柔らかそうな唇は、紅を引いていずともほんのりと紅色だ。肌も白く、きめが細かい。

しかし、何だ。この前面から立ち上る幼げな雰囲気は。恐らく言動に寄るところが大きいだろうが、全くの別人とさえ思えるほどに目の前の女性は少女だ。

そこまでまじまじと観察して、真一は諦めたように小さくため息を吐き、目の前に広げられた調書へと向き直った。

彼女の前で苦々しげに唸る狐塚が、大人の手の上で遊ばれる子供のようだ。

「せんぱぁい」

 開け放たれた扉の外、廊下の先から、聞きなれた粘っこい声が響いてくる。ガチャリと扉の金具が回される音と共に、「あ、違った」という声が聞こえたということは、思わず隣の部屋を開けてしまったらしい。

身を伸ばして廊下の先へと顔を覗かせると、熊に苦笑を見せる加賀の姿。紫煙をくゆらす熊がこちらを指差すと、真一を見つけたらしい加賀の表情が、ぱっと華やぐ。転ばないかと不安になる足取りで駆け寄ってくると、小柄な子ネズミは、珍しく自分より下にある真一の目の前へと、大事そうに抱いていたファイルを見せた。

「警部補から頼まれてたんですけどぉ、取調べの役に立つかなってぇ」

 味気の無い青で塗りたくられたファイルの表紙を開くと、加賀は「入っていいですかぁ?」と上目遣いで見上げた。目で頷くと、まるで親からの許可が下りたかのように軽く飛び上がり、パタパタと部屋の中心へと駆け込んでくる。

目を丸くする狐塚の横にちょこんと立つと、手にしたファイルへと目を落とした。

「えっとぉ、あなたの勤め先を調べさせてもらいました。神楽っていう高級料理屋さんですねぇ。警察内部の人間も、結構利用してたみたいで。聞き耳立てて、情報ながしてたんですかぁ?」

一瞬片目を開けた女が、ふっと笑みを零し「否定はしない」と応じる。

「公私くらい分けるでしょ、普通。万が一小耳に挟んだら保障はできないけどね」

 体重をかけられたパイプ椅子が苦しそうに軋む。

そうですかぁ、と口を開いた子ネズミは、小さく細い手で書類の一枚を探ると、再び視線をファイルへと戻す。

「だったら仕方ないですねぇ。えっと、で、話は飛ぶんですが、僕らはあなたが呼ぶいわゆる公僕です。だから、ちゃあんと多方面から調査しないと上からも、国民さんからも怒られちゃうんですよぉ。それで、あなたについても、僕らとしては共犯者を疑わないとならないんですぅ。お気にさわるかもなぁと思ったんですけど、お勤めの神楽さんについても調べさせてもらいましたぁ」

「賢明な判断ね」女が、胸元で腕を組みながら口元に笑みをしのばせる。

加賀は、ファイルの留め金を外すと、呆れたように見つめる狐塚にも気づかないのか、ばらばらと書類を撒き散らしながら一枚の紙を引っ張り出した。挟むものの残っていないファイルを胸に抱きなおし、笑顔と共にそれを事務机の上に差し出す。いささかくすんだ色をした紙面には、他より大きな字が躍っていた。

「これは、神楽さんの権利書ですねぇ。えっと、この責任者の欄。ちゃんと日本名なんですよぉ。うーんと……や……やどたに――きよし?」

「しゅくや」

 つまらなそうに笑みを消した女が、呆れたような色を浮かべ、子ネズミを見つめた。

「しゅくや、ひじり。何で日本名くらい読めないのよ。あんた本当に日本人?」

 宿谷聖と書かれた責任者の欄を指差す。

「あぁ、そうでしたぁ。面白い読み方だから覚えておこうと思ったのに、忘れちゃうものなんですよねぇ。しゅくや、宿谷聖さん」

笑った顔もどこかふやけていて、思わずこちらも気が抜ける。

「調べさせてもらってもいいですかぁ? たぶん、駄目って言っても調べますがぁ」

「好きにすればァ? 僕には関係ないんだし、僕が話さないのは変わんないんだから」

 うっとおしそうに手を振りながら、女が言う。「珍しく素直じゃないか」と狐塚が頭上から見下ろしてきたのを受け止め、女はくっと口角を歪めていた。

「だって、ゲームはヒントがなきゃ、面白くならないじゃない」

 廊下の先で、ばたばたと動きが生じる。どうやら、今から第二陣が動き出すらしい。千聖が捕まってすぐ、数名の手すきの警察官が第一陣として神楽に送り込まれていたのだ。それも帰ってきたのか、背後で怒声に近い声が届いてくる。

足をしのばせることすらしない無遠慮な足音が徐々に近付いてくると、制服を着た男が息を整えるまもなく駆け込んできた。ごくりと唾を一つのみ、重たい口を開く。

 一瞬にして空気が凍りついた。扉を振り返り怪訝を隠しきれない一同の背後で、千聖だけが俯き加減に口角を歪めていた。