クインテットビショップの還幸

第7話 聖戦



辺りは、嫌にざわついていた。
突っ切ってきた後方の部隊は反対に静かだったのに。
この部隊には、妙な興奮状態がある。
たかが二十名弱。
しかし、各国の歴戦をくぐり抜けた蛮勇。
彼らが死ぬことは少ない。
もはや、死神すら目を覆ったのか、何万の兵を失おうと全く欠けることがない。
鬼神も、これだけ数がいれば戦の神に勝てるやも知れぬ。
肝が据わっているのか、笑いあってさえいる彼らに、兄は臆すことなく入っていった。
中央軍管轄の特務部隊。
指揮官はアーデルベルト・ブライトクロイツ。
国にとっての兄が抑圧の恐怖による絶対神であるならば、彼らにとっては唯一従うべき軍神。
長き時を放浪と戦のみで眺め続けた彼らは、最後に兄を選んだ。
たくさんの兵隊、数え切れない指揮官。
見る目肥えた彼らは、兄を選んだのだ。
国には仕えぬ。
最前線にありながら、死ぬこともなく。
ガサツで乱暴で自我が強くて、
纏まりなどありはしない烏合の衆を纏め上げるは、兄の威光。
腹心の師をもって統率する、兄の私兵団。

「お、将軍閣下!」

南から流れてきた褐色の青年が、楽しげに兄を呼ぶ。
諸公との兼ね合いから、民族や家柄が優遇理由にされる我が国であろうと、この場だけは無秩序だ。
大陸全土から集まったえりすぐりの人材は、早速兄を取り囲む。

「ハィ、フラオ・アレキス! お前、女だったって本当かぁ?」

「誰が言い出したんかなぁ、冗談にしても笑えねぇよ」

「え? でも、隊長はデマじゃないって言ってたぜ」

一夜にして出回った噂は国内を駆け巡り、ついにここまで伝わったらしい。
ニヤニヤと口元を歪めるシリウスは、止める気など更々なさそうだ。
兄からくべられた一瞥に、第三者の僕が縮み上がる。
相手は一国の主。
暴君と名高い男である。
身内ですら言いたいことを飲み込み、必要最小限もオブラートに包む人物に、しかし彼らは物おじしない。
旧友のごとき気安さで、誰もが頭を抱えたくなる事を平気で言う。
例えば、

「一発やらせてくださいよ」

これだ。
血の気が引く。
引きに引いて、血の存在自体がなくなったかと思う。
王宮で上がったならば、文官の二人は倒れ、三人は貧血を起こし、武官の五人は引きずり出そうと躍起になるであろう。
それを知った六人程度は、殺しにかかるかもしれない。
全ての根底にあるのは恐怖。
絶対的力の前に、息をつめ、耳を塞ごうとする恐怖。
しかし、驚くことに、そんな言葉を発しておきながら、本人も周囲もさして悪びれる風もないのだ。
こちらの方が、兄が剣を持ち出さぬか気が気でないというのに。
今、この場で首を切られようと文句は言えぬ。
ましてや、彼ら自身この国の者では、

「生きて帰れたらな」

目を細め、口端を吊り上げて兄は鼻で笑う。
ばらまかれていた笑みが固まった。

「ただし、どこ噛み切られようと、文句はいうなよ」

「…………ごめん、すっごく悪いんだけど、今の冗談……!」

「わかってらーよ、こっちだって冗談だばーか。やられるだけの機能も備わってねーのに、誰がやらせるか」

悲痛な叫びを上げた男に、兄がカラカラと笑う。
いや、兄上様……貴方が冗談を言うと、冗談になりませんから……。
眼下、睥睨する丘に立ち、兄は見下ろす。
先には、見慣れた色彩を纏う大軍勢。

「もはや、隠すつもりもないか」

兄が呟く。
傍らに立った師が、嗚呼と低い声を出した。

「一応、まだ奴ら自体は出てきていないらしい。
いるのは、南隣国の勇士数千と、南島の我が領土の民が若干名……。
あくまで中間地帯に進出した抵抗軍と思わせたいようだな」

「しかし、兵器は紛れも無くスウェロニア製だ」

対立に立ち塞がった騎士が吐き捨てた。

「んあー、いいとこだけ持ってく気かねぇ。ま、いいけど。
おい、坊。
あれが本当に勇士の抵抗軍だとしたら、お前、本当に嫌われてンな。あぁ?」

「結構無茶やったからなぁ、いろいろと」

「虐殺したりとか」

「異教徒狩りとか」

「そゆのは、やってない」

「なんだよー言ってみただけじゃんかー。ぷん。
それはともかく、どうするよ。
完全中間地帯だぜ」

このままだと、指の一本も出せねぇ、師が噛み締めた言葉に、兄はやれるのかと問う。

「十分だね。半日もかからずに片付くさ」

「なら、大丈夫だな。
直ぐにでも初めてやろう」

兄の言葉に不穏なものを感じ取った矢先、かさりと木立が鳴った。

即座に反応したのは、騎士。

「伏せろ!」

咄嗟に主に覆いかぶさり、しかし一秒後には反射で動いた兄に肩越しに投げ飛ばされる。
受け身も取れず落下した先、一本の矢が空を薙いだ。

追ったのは、兄の師。

護ろうとして反対に打撃を受け取った騎士はというと、痛みで頭を抱えている。

「てめぇ、ベルト!せっかく俺が動いたってのに、何しやがる!」

「今のは、お前の動きのが危ないっての。身をていする事を叩き込まれようと、動くべき時とそうじゃないときは区別しろよな、忠犬」

それに、と

「今の王はクラウスだ。お前の死ぬべき相手くらい確かめろ」

少しばかり不服そうな騎士を差し置き、兄は地に伏した矢を引き抜いた。
しばし目をすがめて眺めると、矢にしては太めの枝を手折る。
小気味よく折れた空洞から小さな紙片を取りだし、広げる。
綺麗に丸められたそれ。

「ライマー」

「……んだよ」

「奴が来てるぞ」

にいやり、見える口元だけが笑う。
取り逃がしたらしい師が気まずそうに戻って来る。

「スウェロニアの四枚鷲−−カミーユ・ビュケ閣下だよ」

「……カミュが? お前でもあるまいし……奇特な」

「矢文なんて古典兵法、奴くらいしか使わんさ。餓鬼の頃、ファウストと組んでよくやられたからな」

「なんだ、隣国の当て付けか」

「しかし、これでハッキリしたぞ。手を引いているのは、間違いなくあのババアだ」

「スウェロニア女王陛下」

「へぇ、いいんじゃねぇ? 女王決戦かよ」

「違うのは、士気くらいなものですね。こちらは正規軍に軍神、あちらはゴロツキの後の上、陛下自体は温かな王宮の中だ」

「シリウス、何分で片付くか試すか」

「へぇ、いいんで? 坊ちゃん。知りゃせんで。
あいつら、すぐ調子乗りますよぅ。俺もだけど」

「よい。早く終われば、それだけ早く引き上げさせてやる。祝賀は花街でぱっとやる」

「おぉっ!いいねぇ。で、てめぇは遊女相手に鼻の下伸ばすんだろ、女王陛下!」

「乳は正義だからな」

「うかつなことを言うな、ベルト。品性を疑われる」

「そうだぞー、女が女の乳揉んで喜んでどうするんだ。自分の乳揉んどけ」

「この筋肉をか?」

「……前言撤回。お前、身体は殆ど男だった。柔らかさどころか、脂肪の片鱗もなかったんだ。腹筋割れてる女とか、お前くらいしかいねぇ」

意味深に笑い、兄は視線を走らせる。
取り囲んだ配下どもが、その視線に同調する。

「シリウスは切り込みに回れ。使うのは、第三班から五班。敵中央を分断するぞ。特務部隊第一班と、二班はそれぞれ左右。南軍と協同して両翼を潰せ。早めに敵の士気を削がんと、中央に食い込んだ部隊が袋だたきにあうからな」

背後から太い返事が上がる。
兵士の一人が、馬を引いてきた。
黒馬を二頭。
一頭を傍らの騎士に、もう一頭には、颯爽と跨がる神が。

「クラウス、お前は後をついてこい。無理をして剣を翳す必要はない」

引かれてきた栗色の馬に登りかけていた僕に、振り返りもせず声がかかる。

「早駆けは出来るな」

頷くと、兄は満足げに笑った。
前を見据え、時は満ちた。
馬がいななく。

「全部隊、前へっ!」

兄の叫びとともに、配下一斉駆け出した。
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