クインテットビショップの還幸

第6話 忍び寄る影



「あの坊ちゃんが女だったって?」

男は、聞いた者が皆そうだったように目を丸くし、次の瞬間には疑わしげに笑った。

「まさか」

「俺も、まだ信じられてはいない」

頭痛を抱えた北軍総長殿がため息をついた。
莫大な仕事。
忙殺される僕を哀れんだのか、半分脅しで連れ出された先。
迎えたのは、泥まみれの男だった。

「まぁ、しかし坊ちゃんが予期しないことを言い出すのはいつものことだしな」

「それにしても、たちが悪い! 信じられますか? よりにもよって、女! しかも、たぶらかすにしても、奴に利は殆どないんだ」

「よっぽど王座を蹴り倒したかったとか?」

「未だ実権を握っているのが彼でも、ですか?」

男は黙り込んだ。
狂王の剣術指南者だった以上、相応の歳は重ねている筈ではあるが、そうは見えぬ彼は、唸るように首を捻る。
生え抜き中央軍の中でもゴロツキ――猛者達の集まりと言われる王直轄の特務部隊。
各地で名を馳せた傭兵や、根無しの兵士、一人をもって戦局を左右してきた男たちは、何故かベルンバルトに定住する。
ただでさえ恐ろしい狂王を抱えた国に召された彼らは、諸国からすると絶対的恐怖に他ならない。
しかもそれらは国に忠義を持ちはしない。
主たる狂王に心酔しているのだ。
出自故か、崇拝からかくも暴走しがちな特務部隊を見事纏め上げる蛮勇の名は高い。

《シリウス》

彼は諸国からそう呼ばれていた。

「で、うちのフラウ・アレキス陛下はどこに?」

「楽しまないで下さいよ……。深刻なんですからね」

蛮勇は、下品な高笑いを上げはじめた。
乱暴、しかし絶大な信頼を得る者よ。
まるで兄のような。

「今回シリウス殿は南方に行ってこられたのですよね? どうでしたか? ユーデルフラウは咲いていましたか?」

独走を善しとする兄を育てただけあって、彼もまた独断的だ。
しかし、あれだけ兄を忌避し続ける僕が、何故だか知らないがこの男だけは好きだった。
我が国花ともなっている花の可憐な様を思い浮かべ問うと、シリウス将軍は困ったように笑みを崩した。

「いいや、まだだ。今年は嫌に寒いからなぁ。後二月は先だと農家のオババに言われたよ。俺も、あのジャムが来ねぇと夏になんかなった気がしねえ」

「ほぅ、あれでジャム等作れるのか」

「香りだけをな。味はその辺の果実ごった煮にしたようなもんだ」

感心して頷く従兄弟殿に、「お前も一度食べてみろ」と促しつつ、口端だけで笑った。

「俺が手に入れると、どこから聞き付けるのやら、ハイエナのごとき坊ちゃんが、ねこそぎ持っていこうとするんでね」

「ベルトが? じゃあ、一気に味が不安になった。あいつ、戦場で泥啜ろうと虫を食おうと、腹ひとつ壊さないんだぞ。心底不安だ」

「おやまぁ。大層な信頼だこと」

言葉の割に笑みが零れるのは、その兄を育てたのが、正しくこの特務部隊長本人だということだろう。
七歳で真冬の夜山に放置したという鍛え方は、伊達ではない。

「まぁ、奴もそれで救われたところはあるだろうし、何より普段は王侯貴族してんだ。それなりに舌は肥えてるだろ。たまには、庶民の暮らしを知るのもよし」

「そんなもの食べるのは貴方たちだけですよ。五年前の冷害の時なんか、蝸牛を食えと言い出して気が狂ったかと思った」

「あれはれっきとした食材だろうに」

「蝸牛を食べるのなんか、一部地方都市くらいなものだよ」

かたつむり……!
食べさせられたらしい従兄弟殿が口を尖らせた時、遠くから叫び声のようなものが轟いた。
聡い二人が、さりげなくそちらに身をよじる。
直ぐさま対象と僕の間に滑り込むのは慣れた様で。
多分、そうされていたのは兄。
ただし、その兄自体が大人しく引っ込んでいたとは思えなくとも。
叫びは次第に大きくなる。
近づいてくる気配は、次第に言葉の意味すら届けはじめる。
普段大人し騎士。
彼が吠える先。

「待ちやがれ、ベルトォおお!!!」

素晴らしいフォームでこちらに駆けてくるのは、正しく件の兄上様だった。
乗馬ズボンのみ身に纏った姿の奥に、見たことがない程激昂する騎士。

「おい。あれが女か」

「…………言ってくれるな。誰も信じる訳がない」

気の抜けた二人が呟く。
恥ずかしさも更々なく、曝された上半身は、隆々とはいかないまでも筋肉はついている方だし、腹筋なんて傍目にも割れてる。
胸どころか無駄な脂肪一つない。
そりゃあ屈強な男どもが揃う特務部隊にでも雑ざってしまえば細身だろうが、僕をはじめ城の人間の中でなら、こちらの方が女性性を疑われかねない。
どこからどう見ても男。
まるっきり、男。

「デルンブルグ様、おどきくださいまし!」

騎士の背後、のたのたと息を切らせる女が叫んだ。
二十四、五。
淡い桃色のコートの中から、何やら光る塊。
驚いた騎士が壁際へ避けた途端、鋭い音が辺りを切り裂いた。
先、倒れる身体。

「いっだぁあ!テメェハナブサ!何しやがる!」

頭を抱えて立ち上がりかけた兄に、黒い影が。

「よくやった、ハナブサ。報酬ははずむぞ」

にぃやり立ち塞がる騎士に、固まる。
黒い塊を拾い上げた女は、はたはたと埃を払った。
漆黒に塗られた塊。
鮮やかな色使いは、東国の専売だ。

「いえ、この子に助けられましたわ。案外割れないものですわね、唐津焼き」

「唐津焼き?」

「シナ焼きを作れる島国があるのですわ。余り知られておりませんけど」

「とりあえず、お前……それだけは止めろ。凶器になる」

「あら?どうせご献上しようと思っておりましたもの。はい」

「いらんわーっ!」

「あら、ひどい。磁器を作る技術もないくせに」

「どうでもいいが、検診をはじめて貰ってもよいだろうか、ハナブサ女史。医者の代わりに来たのだろう?」

騎士に首ねっこを摘まれた兄は、追い付いた女とブゥブゥ言い合いを続けていたが、こちらに目を向けるとあっと目を丸くした。
身体が震えた。
兄の目がすぼまる様が手にとるように想像できる。
強い視線、
痛い程力を持つ言葉が、

「あーっ!シリウス!ぐりゅーすごっと!」

一度として聞いたことがない素っ頓狂な叫びが上がり、子犬がごとくハタハタと手を振る。
しかたなしに応じたシリウスが、深々とため息をついた。
…………は?
いや……この反応は、

「よう、坊ちゃん。人目があっても素のご開陳か?」

「ハハハハ、もう取り繕う必要もないからな。俺はもはや王ではない」

「あー、あれ、本当だったんだ。おめーの父上の寝言かと思ってたぞ。別にいんでねーの?お前が王でも。言い出した馬鹿も、おっ死んで久しいんだし」

「クソ面倒くせぇ」

「それが本心か」

ぽんぽんと進む会話。
きょとんとしているのは、僕と北軍総長のみ。

「疲れるじゃねぇか。毎日毎日仏頂面してさー。あんな顔になっちまう」

「おい、こら。ベルト貴様」

「あー、あれはやだな。眉間の皺が恒久的過ぎる、それよか、お前息子ついてなかったって本当か?」

「そこのオジン、直接的すぎますよ」

「まーなー」

「捕まった時に切られたとか」

「痛!」

「じゃあ、どっかに落とした」

「軽いなぁ、おい」

「嗚呼ー、母ちゃんの腹ン中かな?」

「ベルトも答えない!」

「でも、特務部隊で凱旋パーティーした時なんか、お前平気で脱ぐじゃねぇか」

「下は脱いだことねーよ」

「え? そうだっけ? 総員全裸パーティーになるじゃん」

「不思議がられる前に全員ツぶすから。幼い頃からアルコール嗜む俺が猛者とはいえ、野郎どもに負ける訳がねぇだろ」

「あ、確かに」

「疑うか?」

「その恰好じゃあなぁ」

「見る、」
「見せるな!」

背後からとんできた鉄拳をかわし、兄は小さく口を尖らせた。
何だか子供じみて落ち着かない。
しかし、流石は長年の師。
シリウス公の諦めは速いもので、「まぁ、いいか」の一言のみで、言及することも止めてしまった。
今度兄の首元を掴み上げたのは、件のハナブサ女史。
勿論彼女の身長で兄の長身を支えられる訳はないのだが、ようは気持ち。
兄自身、振り払い逃れる気もないらしい。

「さぁて、無駄話はすんだかしら? 今度はこっち、来てもらうわよォ」

「乳揉ませてくれるなら」

「ホント中身はオヤジだな、おい。あんたをそんなにしたのは私の父だけどさー……も少し女の子らしーことしないと、信じるもんも信じられないわよ。この人たちみたいにね。私は診てる方だから分かるけどさ。……聞きたいことが、二、三あんのよねー。正直に答えてくれる?」

「好きなタイプとか?」

「なんで私があんたに好きなタイプ聞かなきゃなんないのよ……」

「俺に近付くやつは必ず聞いてくるぜ? どんな女の子が好きですかー、とか」

「それは、ただ玉の輿にのりたい馬鹿娘か、馬鹿娘の父親なだけよ。私は、女医! 分かる? 父の代理!」

「あの偏屈眼鏡」

「あ、それには同意する。あの眼鏡センスはないわよね。まぁ、いいんだけど」

そこで漸く脱線に気付いたらしい。
固まった顔をそのままに、ハナブサ女史は間が悪そうに髪の毛を掻き乱した。

「そういえば、あんたさぁ、初経来たのー? 薬止めて三ヶ月経つけど」

余りにもな発言に、異性一同思いきり吹いた。
驚かなかったのは、姉であるはずの兄、ただひとり。

「な……なによ、私なんかおかしいこと言った?」

「気にすんな。こいつらはただ、女幻想みていたいだけだ」

「女幻想?」

「月経は汚れた病気である。故に、女は神に嫌われた忌避種である」

「あら。こっちにもそんな話あるのねぇ。万国共通なんだなぁ。でも、子宮崇拝はあるでしょ。もしくは、処女崇拝か」

「いや、その最たるものが俺だから」

「……嗚呼。あんた、あの卑屈なオヤジさんが神様と契約したってやつ? あんた使って?」

「産まれたての赤ん坊は、そりゃ処女だわな」

「今でもあるんだ、ほー、へー。で、あんたはいけにえなの。それとも、ひとばしら?」

「婚約者」

「結婚してくれるの! はあぁ……ロマンね、ファンタジィね。私だったら願い下げだけど。じゃあ、何? 迎えに来てくれるわけ。いつか王子様が〜ってやつ」

「古い民間信仰の神らしいから、化け物かもよ。ワーウルフみたいな」

「何、ルーガルー? へーじゃあ、あんたの子は耳付きだわ。死んだらかしなさいよ、綺麗にばらしてあげるから」

「お前、結構残酷だな……。信じてると思うのか、そんな迷信」

「あら、ノリがよかったのに。案外信じてるのかと思ったわ。じゃないと、一国の主が三十路までいきおくれ……」

「殺されたいか、コラ。でもま、迷信だとしても調度いいんじゃねえの? 一生処女つーのが条件で、こんなナリだと、ナニしようって馬鹿もいねぇし」

「案外いるかもよ。ほら、あのプレイボーイ見たら分かるでしょ」

「げ! ヤだよ、ンなの。突っ込まれるとかさぁ」

「大丈夫、あんた薬で突っ込める程育ってないから。何なら、縫ってあげよっか? そういう民族もいるんだし」

「えー痛いのやだ」

「毎日に近く刺し貫かれて、お抱え医者半泣きにしてる奴のセリフか。で、きたの! きてないの!」

「何が」

「月経の話してたんでしょ、あー話逸れた!」

赤くなるやら青ざめるやら、退出したくも離れられない男どもを差し置いて、女二人(一人半?)はずばずばと核心をついてくる。
嗚呼、なんとゆーかもう……。
かの従兄弟どのの呟いた、「女って、ホント怖いよ」の一言にも、今ならおおいに同意できる。
彼女たちにしてみたら日常であり、逃れられないものなのだから仕方がないのやもしれないが。

「きてねーよ。血が出るんだよなぁ、血が」

「まあね」

「信じられねーなぁ……痔かよ」

「ハハハハ、お嬢様、その冗談笑えなーい」

「だって、怪我もしてねぇのに血だぜ? 何処からくるんだよ、全く。しかも、定期的に。病気じゃねぇの?」

「こない方が病気なのよ。あんたねー……女は皆必死なのよ。男はそりゃー出し放題かもしれないけど、女は一生に400個限りなの! それをあんた……普通に暮らしてても悩むってのに、あんたその歳までいくつ損したと思ってるの」

「突っ込める程育ってないっつったの、お前、」

「それとこれとは別」

「…………はい」

「薬やめて一ヶ月だっけ? 見たところ、胸も育ってないみたいだしねぇ……。もう一生こないのかな」

「それならそれでいいんじゃねぇの? ほら、やっと譲ったのに、面倒なことになるだろ。後継者問題とか」

「あ、やっぱりあるんだ」

「俺が継ぐ時は、クラウスが赤ん坊まんまだったから反論もなかったけど、今の時点で反対派が動いてる節がある。あ、反対派っつーのは、俺の側の陣営な。望もうが望むまいが担ぎ出される世界だからなぁ。もし俺がガキ産むと、それを使って血みどろの内乱になるやもしれん。親父がそうだったからな。担ぎ出された弟と、政権争いして最終的に一派皆殺しにしちまった」

「うわ、物語の域ね……よかったわ、一般人で」

「で、俺、実動部隊の指揮官」

「あんたかよ! 殺せって命じたのはあんたかよ!」

「いやぁ、それは親父殿だよな。あの人、人で無しだったし。俺が連れてくる捕虜、交換余った奴から片っ端に切り殺させてたもんな。だからもう、最終的には自分で手を下すしかなくなって」

「どんな幼少時代よ、おい……」

「だって、可哀相だろ? いたぶられるだけいたぶられて、それで漸く殺されるとか。だったら一思いにバッサリいってやったほうがいい」

「あんた……優しいのか残酷なのか、時々解らないわよね」

「まぁね」

頭を抱えたハナブサ女史が、小さく頭を振った。
この話は終いらしい。
ようよう己の範疇に戻ってきた話題にも、誰も口を挟まなかった。
あの名高き狂王が、そんなことを考えているとは。

「まあいいわ。無駄話はこのくらいにして、今日こそは、きっちり診察させてもらいますからね。あんたの部屋で、みっちりと!」

「乳揉ませてくれる?」

「だから、何であんたはそこに行く!」

ズルズルと引きずられ始めた兄を呆然と見送りつつ、傍らの従兄弟殿が呟いた。

「あいつ、変わったな」

いいのか悪いのかは判らんが、と続けられた言葉に、激しく同意したくなった。
何だか……うん。

「シリウスー」

口の横に手を添えた兄が、嗚呼とばかりに師を呼ばう。

「ユーデルフラウは、咲いてたかー?」

かつて僕がしたものと同じ問いに、再びの違和感。
兄は、そんなこと構わない人ではなかっただろうか?
酒と戦と、権力のみに聡い豪傑者ではなかったか?
師は笑う。
含みのある笑みで。

「嗚呼! 九分咲きっちゅうところだぜ。特にネンバンカルクはな」

先程とは違う答えに、思わず彼を見遣った。
集まる視線にも構わず、彼は肩を竦める。

「そうか」

にやり。
兄が笑う。
師と同じ笑みを。

「戦の準備をしておけ。南方軍を、即応体制に整えておくのだ。事によっては、特務部隊も駆り出すやも知れん。万事任せたぞ、シリウス」

「御意。特務部隊の半数を、ひそかに現地入りさせておきましょう。南方軍には、既に陣を張らせて来ました。俺も先んじて南へ控えております故、即応はできるかと」

「流石シリウスだな。お前選んで正解だなぁ。いや、仕事が楽! ライマー、ライマー」

「お傍に」

傍らに駆け寄った騎士。
引きずられつつ、向ける瞳に、ぞくりと寒気が走る。
兄だ。
王で、国で、神で、
狂王の、
兄。

「最後通告を出せ。宛先はユーデルフラウ……我らが麗しきスウェロニア王国へ、だ」

「内容は」

「我が国隣接の中間都市、ネンバンカルクより兵を退かれよ。期限は、一週間。万が一、隊を動かす気配なき折には、我が方も相応の対策をとらずばならなくなろう」

「戦争か」

「そうなるだろうな」

心積もりはしておけよ、と呟いて兄は手をはためかせた。

「クラウス」

にこやかな声は、しかしなんだか嘘寒いもので。

「お前の初陣だ。戦場に連れてゆく」

忙殺される書類。
動かなくなっている脳の中で、漸く王になった恐怖が沸き起こった。
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