粉雪のごとく舞うシャンデリアの明かりに、宙空に放たれてはコロコロと転がり落ちる宝石のような音色。
今日を存分に謳歌しようと、綺麗に着飾った男女。
その中で深々とため息をついた。
状況についていけない。
いや寧ろ、状況の一つたりとも理解が出来ない。
主役でありながら肉親の葬式にでるような陰欝さをみせる僕を、しかし周囲は放っておいてくれる。
己の喜色に手一杯なのだ。
それが今は有り難かった。
「どうしたんです、そんな顔をして」
傍らに立ったのは、麗しき隣国の従兄弟殿。
「いえ、ちょっと……」
言葉を濁してみたが、あまりに僕の様子がおかしかったのだろう。
普段引き際を弁える彼が、珍しく引こうとしない。
仕方なく「兄のことで」とため息がてら呟いた。
相手も納得したらしい。
「彼のことで悩むのは、神経の無駄遣いですよ。実にもったいない。どうせ思いもつかない無茶をしでかしてくれるのですから、あんなもの、放っておけばよろしい」
言葉の割に、語尾は優しい。
やはり彼も兄のことを信頼しているのだとは思えど、今回ばかりは愚痴を言わずにはおれなかった。
親類だという自負もあったと思う。
兄に振り回され続けても交流をやめない彼なら、ただ軽くわらい飛ばしてくれるやもと期待したのだ。
僕が言いにくい話題だと思ったのだろう。
かの従兄弟殿は、努めて柔らかく笑い、「嗚呼、」と室内を眺め見た。
「見慣れない御婦人がいらっしゃいますね。どこの方でしょうか?」
ビクリと身を縮めた。
彼の屈託ない視線の先には、僕の憂鬱渦中――寧ろそのもの。
彼女は、ある隣国の王子と何やら言い合っている。
僅かばかり背を引き攣らせた後、嗚呼怒ったな、と思う間もなく、鉄拳が飛ぶ。
お相手はというと、驚くことに、その鉄拳制裁を易々と受け止めた。
「ファウスト……」
うんざりしたように呟いた従兄弟殿は、海を擁する立地から、浅からぬ繋がりを持つ中立主義の海洋国家跡取りを眺め見た。
兄の手をとり、いつもながらの屈託ない笑みを浮かべる男。
法を逆手に、婚約者の他にも数多の妻候補を持つプレイボーイ。
果てには、猛獣と名高い男である(あった?)兄にですら、へらへらベタベタと懐く男――。
「そういえば、あの人は兄さんに、結婚って……」
ただの御託か狂気の沙汰か、果ては困らす冗談かと思っていたが。
「大丈夫でしょうか?」
従兄弟が心配そうに呟く。
犠牲者が増えることを懸念しての言い分だったが、僕には確信があった。
「放り出しますよ、きっと」
不思議そうな彼を見つめる余裕もなく、ただ漠然と前を向いたまま、諦めるように吐き出した。
「あれは、兄ですから」
従兄弟の顔が、見事に固まった。
捻りかけた足首の痛みに顔をしかめていると、再び走った軽微ならざる衝撃に大地とお友達にならざるを得なかった。
しかも、今回は額を強か打ったし。
くそ、
「だれだ、くらぁあ!!」
恥も外聞も、己の姿すら忘れ、全力を込めて叫びながら立ち上がると、腰からだらりと垂れ下がる重量物。
しかしながら、俺だって伊達に鍛えてきてはいない。
戦場では、傷ついた戦友を担いでスコップすら振るった男だ。
当時死にかけていた男は、今やきらびやかな軍服を引っ掛けて近寄る女どもにぎゃんぎゃん噛み付いている北方軍総長様その人なのだが。
いやいやいや!
今はそんな話をしている場合ではない!
慣れぬ足元に気をつけつつ、腰に回された腕を頼りに首根っこを掴み上げる。
同じ程はある身長の男故、足元が浮くことはなかったけれど、思いきり掲げた腕に首は絞められたらしく「くけぇ!」という音が零れた。
お前は鳥か。
戦地で食うぞ、こら。
視線の先に持ち上げられた金色の目と目を合わせ、俺は盛大にため息をついた。
あーくそ、一番見たくねぇ顔だよ、本気で!
「ベルト、ベルト痛いぃ!!」
「殺されなかっただけマシだと思え、馬鹿者が。で、何か? 何がしたい、フォレスト」
嗚呼、汚いものを持っちまった、と手を離してやると、獣よろしく華麗に体勢を立て直した奴が首の辺りを探る。
ちゃんと首の皮が繋がっているか確かめるのは、躊躇いなく剣を抜く俺の性質を知り尽くした者の所業だ。
酸欠に涙を浮かべている幼なじみが、ふやけた笑いを浮かべた。
あーくそ、それで何人泣かせてきやがった、俺は騙されんぞ、何せ中身は男だからな!
「ベルト!」
再び抱き着いてきた影をかわす。
翻ったスカートの裾がうざったい。
女って面倒だな!
「ようよう、俺のとこに嫁入り……」
「馬鹿か!!」
手刀を振り下ろすと、付き合いの差か華麗に止められる。
「ふふふ……フォレスト……これ以上くだらんことをほざくなら、一生使い物にならなくしてやるぞ」
「えへ。それ、困るのベルトじゃない? テクニックなら、」
「とりあえずその舌抜くか、糞野郎が! そうだな、そっちが早いな、大量出血で死ねるしな!!」
「ベルト怖ぁい」
大の男の腕力二人で、ガチガチに組んだ腕を押し合う。
もはや、押し曲げた方が勝ちだ。
というか、こいつには絶対負けん、絶対に!!
「で、フォレストぉ……!! お前、何しにきた。俺を襲いにか」
力込めたままの手に震えをきたしながらも問うと、「そうだっ!」と早々に戦線離脱した幼なじみが手を払う。
崩れた体勢は普段ならば簡単に立て直せる程度のものだったが、いかんせん。
格好が格好だ。
かける力に従って転びかけた身体を支えたのは、またしてもかの幼なじみで。
それでも元成人男性、片腕じゃあ辛そうだったが。
「あ、胸やわい。パット?」
「残念、ミルクパンだ」
触れた驚きに彼が離れた隙、高笑いを響かせながら立ち上がってやった。
「食うか?」
言って襟元を乱しかけると、「出すな出すな!」と半泣きになった。
「お前、どこぞの正義の味方か! 夢が崩れる!」
「ヒーロー(正義)というよりはヒール(悪役)だがな、俺ァ。まぁいい。現状復帰難しいんだ、これ。いらんならよし。で、何だって? 死ぬ前の言い訳くらい聞いてやる!」
「ベルトをダンスに誘いにきたんよ、俺ァ」
にこり、
完全に安心仕切った小動物の顔で笑われて。
あー、こりゃ女子どもにゃたまらんだろうなーって、俺にはしゃくにさわるだけなんですけど!
キラキラ光る瞳の真上に殺人的突きを繰り出すと、やはり華麗に止められる。
潰すこと叶わなかった笑みは消えることなく、不思議そうに首を傾げてくる。
「はぁあ? ……ダンス?」
こくり、頷く姿。
力が抜けて、開放すると、予想外の反応だったのか、件の幼なじみが縋りついてきた。
「そう、ダンス。踊ろうよぉ。社交界の華だよぉ」
「はあぁ? 何で俺が。お前なんかと、」
「ベルト今、女やし」
「殺すぞ、ワレ」
凄んで大人しくなったことを確認する。
踵を返すと、背後でポソリと呟きが聞こえた。
「……逃げるんか」
「…………………あぁ?!」
「逃げるんか、言うたんなし。ベルトのビビリ。ふふ、ベルンバルトの名も落ちたもんやな」
「おめ、もっかい言えなくしたろか、おら……!」
「受けるか?!」
「当然!」
差し出された手に勢いよく手を重ね、あれ? 我に帰る。
俺、躍らされた?
「あれが、アーデルベルト!? まっさか……! クラウス……いろいろと追い詰められているのは解りますが、まさかそこまで脳の機能を失っているとは、」
「ほんとなんですぅっ!」
叫んだ僕に、心底可哀相な顔をした縁戚殿は額に手をそえる。
「熱はないですよぅ!」
「らしいですね、嗚呼……貴方がそんな馬鹿言い出すなんて、」
「信じてください!」
「……あの、」
震える指が、大きな部屋の中央を指す。
「本当に、貴方が言っているのは、あのフォレスト公と奇妙なダンスを踊っている方ですか?」
押して押されて、全力の押し問答を繰り返しているらしい幼なじみと女性の姿を呆然と見つめる。
いや、確かに短絡的な所はアーデルベルトに似ていないこともないが……。
「聞きましたか?」
口端を奇妙に引き上げた騎士が、いつの間にやら傍らで微笑んでいた。
驚きで言葉を無くす俺に、再び、「聞きましたね?」と念を押して、騎士は再び視線を戻す。
部屋の中央。
佇む二人は、一度離れて。
「はっ、まさか。ネタバラシしに来てくれたのか?」
「バラすべきネタなど既にありませんね。全て彼からバラされてしまった筈だ」
「まさか、あれが本当だと」
「……疑わしいですか」
「当然だろう。信じられる筈がない。じゃあ何だ。何であのフォレスト公はそれを知っていたというのだ。おかしいじゃないか。皆で俺を騙しているとしか思えないだろう」
「それは、不慮の事故なんですよ。仕方がない」
「不慮の……?」
「……風呂の……」
「や! やっぱ聞きたくない! ただでさえよくわからない少女漫画的ノリなのに、あいつが絡んでまともな終り方するはずがない!」
「いえ、笑いましたけどね、彼……。これ以上ないくらい笑いましたけどね、真っ裸で。寧ろ、かいま見てしまった方が、顔面蒼白で見るに耐えない感じでしたけど」
「言わないでぇえ!!」
「それが何故こんなことになったのかは解りませんけど」
「聞きたくないってえぇ!!」
え?
何、俺。
何でこんな必死こいちゃってるの。
おかしいでしょ、ほら、本人たち楽しそうに踊ってるし。
「だからァ、俺は知らん! 人違いだ!!」
「うふふ、面白い方」
「この国で、第二等勲章を戴くのは陛下直属の特務部隊長か、北軍総長だけですものね」
「ええ、その銀に青地の光章は正しく」
「わたくしたちもそれなりに勉強しておりますのよ」
「王の伴侶候補としてね」
神々しいばかりの婦女に囲まれて、心底軍服を着て来たことを後悔した。
俺は元々異性が苦手である。
十五から戦場に出たが故か。
周りは大人の男ばかり。
仕える可きは、次代の王者。
血まみれ泥まみれで這った記憶も遥か彼方。
はじめただのボンボンだと思っていた従兄弟殿は、兵士たちから幼いと謳われる俺が安穏と暮らしていた以前からその身を血で掠っていたのだ。
懐かしい、血の歴史。
彼らは四人で戦地を駆けた。
彼が望むのは絶大なる力。
安寧でなく。
この豪奢な世界すら、彼にはただ力の誇示。
見慣れた騎士の姿も今はない。
主を追って、どこかに消えたか。
そういえば、もう一人の騎士はどうしたことか。
片割れを愚直と言えば、鋭利な知略の塊がごとき男。
「えぇい、だから触るでない!」
「ええーっ、何でよぅ。減るもんでもないでしょうに」
ぶうぶうと文句を垂らす女どもを振り払い……たかったが、止めておく。
その辺りの理性は一応ある。
それでも伸びてくるからかい混じりの指を避けようと身を反らすと、部屋の隅、何やら話し込んでいる小さな身体。
相手は、正真正銘隣国のボンボン。
「ほ……ほら、お前たち望みの、新王様だぞ。ご挨拶にでも行かなくていいのか? 先越されるぞ、ほれほれ」
「えぇーっ……だって、あんなこわっぱ……」
「おぃ、今、本音が漏れたぞ」
「わたくしどもは、狂王様に宛がわれるためにつくられたものですもの。その役が果たせなかった以上、他の王族のめがねにかなうわけありませんわ。それに、もう道は決められていますしねぇ」
「わたくしは、さるお方の後添いに、と」
「あら、わたくしはフローウァン皇国に留学を」
「わたくしはお医者様ですわ。あのお嬢様に至っては、交易商との縁談が纏まりそうなんですって。ゆくゆくは属国の大会社奥様ですわね」
「おいおい、そんなんでいいんか……」
「あら? 子女とはそんなものですよ? 北方の、お坊ちゃま」
「おぼ……!」
「産まれた時点でお荷物疫病神。早く添わせて始末をつけるか、高い地位の者に明け渡して地位を買うかのどっちか」
「あるお国では、女子を差し出す場合は多大な金品を差し出す必要すらあるらしいですわ。それに比べたらまだまだ」
「あら、怖ァい」
「そういうところでは、女子が産まれたら殺してしまうそうですよ。眼鏡のお医者様が言ってました」
「そう考えたら、この国は素晴らしい!」
「殺されないし、疎まれない」
くすくす屈託なく囀る様を呆然と見つめ、何だか気が抜けてしまった。
女なんて、戦場にも出ん、お気楽な身分だと思っていたら、まぁ。
不意に、あの不遜従兄弟様の姿が脳裏を過ぎったが、そこは否定しておく。
いやいや、あれが女だと信じた訳ではないし。
「あら、ご覧になって」
姦しい小鳥の一羽が、しなやかな指を掲げる。
指したのは中央。
ホールのごとき広さを持つ場所。
思い思い踊っていた男女の中に、今一番見たくない若草色。
ひらり翻る裾から垣間見えるレース。
無理矢理作られたという腰の括れと、そこに添えられた手。
ふわり踊る長き髪は付け毛だという。
「あまりお会いしたことがないお方ですわね」
「一緒なのは、フローウァン皇太子?」
緩やかとは言いづらいテンポは、ダンスを愉しむというより、踊りと踊りの間に挟まれる息抜きのようなもので。
誰もが目を見張っている。
あのテンポに?
いやいや、やつならやりかねない。
軍歌と鎮魂歌の合間で生きてきたような男だ。
それにしても、何故アレが?
どんな集まりであろうと、優雅に踊ることなどしなかった男が。
「それにしても……」
女の一人が、さぞ面白そうに口元を押さえる。
釣られて、一人、二人。
「何故あの方々は、女性が男性のパートを踊っていらっしゃるの?」
「てめー……何で女性役なんかできやがるんだ!」
部屋を殆ど横断するような足の進め方に、奴は見事についてきた。
にいやり、意地悪く笑って、ステップを。
「我が愛しの弟君に教えるために、ちょっとねー。でも、こんな風に役に立つならよかったかなー。でも、」
俺が勝ってる、ってことだよねぇ。
離れる間際、耳元でささやかれた言葉に、かっと視界が燃えた。
んにゃろぅ……!
テメェが俺より優れていると?
なめんじゃねぇぞ!!
くるりと一回転、
向かい合わせで立ち止まった男に向かって口端を上げ、差し延べられた手を払う。
一秒目を閉じ、浮かべるは流浪の民(ロマ)。
あの時王座で眺めた、女を最大に利用した夢物語。
そう、俺はもはや女。
目の前には愚かな獲物(オトコ)。
空気を抱くように差し出す両手。
今あるのは剣でなく。
細やかな音を刻む足。
軍靴は艶やかな靴へ、汚泥はきらびやかな大理石。
くるり、まわって流し目をくれてやる。
止めろ殺せと散々抵抗した長髪も、かきあげれば素晴らしき武器に。
悪魔は果てしなく美しい姿をしているという。
アダムが添わされたのは、イヴではなかった。
代価品としての助骨よ。
女は悪魔だ。
そうでなければ、《始まりの女》は《始まり男》からつくりだされる必要はなかった。
《真に完全なる女》とは――、
堕天し、悪魔となる。
驚いていた男が、破顔した。
挑戦的に身を翻すと、垂れられる頭。
折られた膝に、差し出された手を取る。
今度は完全に主導を取る気らしい幼なじみに、それでも渡してやるものか。
俺は、俺だ!
もしもや例えはいらん。
今も過去もない。
女であり、男であり、流転の覇者たる狂王、アーデルベルト・ブライトクロイツ!
「いやー、凄い凄い。自分の歳忘れたわー。戦場よりきつかったと思わん?」
「よく言う……戦場なら三日三晩走れるくせに……。あーくそ、あぢーっ! やっぱやんねぇとよかった」
「楽しかったくせに」
「ほざけ! 付き合ってやっただけだ!」
「でも、お前も息切れてるし」
「あんだと!あぁ?!」
みっともなく床に転がっていた片割れが勢いよく跳び起き、もう片方の胸倉を掴む。
まぁ、彼としてはよくやった方か。
予感めいたものに、その場を離れる。
それまで共に眺めていた男がたじろいだが、構わない。
摘みあげられた男が、淑女様にどなり散らされている。
嗚呼もう、聞くに堪えない。
それがなければそこそこだというのに。
「ライマー! 剣を!」
「いいですけど、ここではやめてくださいね。汚れる」
「えぇー、心配ってそこー? なら、あし、グランギニョル取ってきていい? 愛槍じゃないと戦えないよー」
「またそんな大層な名を……」
「恰好よかろう?」
屈託のない笑みに気が抜けたのだろう、我が主は手にした剣を下ろした。
その頃には戸惑っていたもう一人の幼なじみもいくらか飲み込めたようで、慌ててこちらに駆け寄ってきた。
うわー、うわーと遠慮なしに眺め遣る様はあまり行儀がいいとは言えないが、彼らの仲にそのようなものいらないのだろう。
「何だ」と低い声を出す。
「本当にアーデルベルトか? はあぁ……人は変わるもんだなぁ」
「うっせぇ、くたばれ」
「あ、ベルトだ」
「ねー? 言ったろぉ? ベルトは可愛いんやってぇー」
「すげーすげー、今度うちの社交界にも顔出せよー。ババアびっくりすんぜー!」
「卒倒すっかもぉー」
「いいぞ? ただし……!」
美しき主は、宝物に彩られた指先を延ばし、もうひとりの胸倉を掴み、引き寄せる。
燃える瞳、
狂王そのままの笑みで。
「南方のネルバンカルクから軍を引いたらな……っ!」
ぎょっとする彼。
遠慮なしに突き放し、主は笑う。
「てめーの国が軍備そっちに回してることは分かってんだよ」
苦虫をかみつぶす。
そう、これが彼らが生きてきた世界。
「行くぞ、ライマー」
かけられた言葉に、馴れ合いは終いなのだと知る。
迷いない足は、軍靴でなく。
靴を、服を纏い変え、
我が主が行ける先はいったいどれ程か?