クインテットビショップの還幸

第4話 約束の子と持たざる者


僕が兄とその友人たちの会合をのぞき見た後、本当の意味で恐ろしい時間は始まった。
突如として決まった王座投げ渡しのため、急ごしらえされた国営会議。
真の意味でお披露目となる夜会との短い間に無理矢理捩込まれたそれは、やはりというか、参加権を持った高官たちは一様に嫌な顔を向けてきた。
こんな時、憎悪は決まって僕にくる。
兄を恨めないから。
兄を批難できないから。
今回ばかりは当事者に担ぎ出されたから当然とはいえ、勿論気分のいいものではない。
僕も知らなかったんだってば。
特に、兄の腹心だったハインリヒの心神は並々ならぬ物だったようで、あからさまに口端を上げてみせたり、果てには厭味すら平気で言う。
あれだけこてんぱんにやられれば、流石の従兄弟殿でも、兄へ面と向かって示しはしないらしい。
絶望的に、居心地が悪い。
絶対的に、逃げ出したい。
僕はもう誰にも見られぬよう、部屋の隅でちょこりと肩を竦めていた。

「陛下」

兄の騎士が呼ぶ。

「中央にお座り下さいませ。玉座は既に、貴方が収まるべき場所です」

「し……しかし……」

「全ては必然、決まりきったことではありませんか」

僕は遠い椅子へと目をこらした。
本物の玉座とは違い何ら変わりない椅子ではあれど、他が白地に銀細工なのに比べ、金地に赤、それも今ではらしゃの布を纏わせて、やはり一段違って見えた。
兄の権威。
あそこで兄は、国を動かし、人を殺し、何を、得てきたのだろうか。
戸惑いの方が大きかったが、騎士の鋭い目に射すくめられてしまうと、シカタナシに声を搾り出すしかなかった。

「…分かりました」

僕が席につくと、不服ながらも忠実な面々は、渋々おのが席に座る。
左右、ずらり並んだ要職者の様は、なかなかに壮観だった。
皆の目が、ねっとりとした恨みで染められていなければ。
ライマーが、主のものとなった王座向かいの席に歩み寄る。
姿勢を崩さぬ立ち姿は、正しく騎士の誉れ。兄直属の騎士といったところか。

「陛下からは、恐らく遅れるだろうから、先に始めておくようにとのことです」

「はっ、やつがそんな優雅な言い回しをするものかね」

自棄になっているのだろう。
腕を組み、椅子から尻がずり落ちつつあるハインリヒ将軍が、豪快に鼻をならす。
部下と言え、あの人に盾突くとは。
僕を含む周囲が息を呑んだ時、しかしながら忠誠の騎士は、小さく口元を上げ、悪びれもせず口を開いた。

「"俺が間に合う訳がねぇから、先に始めとけ。進んでなかったら、ぶっ殺す"」

「はっ!あいつらしいねぇ。そうでなくちゃ」

「なぁに、貴方が心配せずとも、あの方はいつまでもあれですよ。変わったら正しく奇跡だ」

「確かに。歴史がひっくり返らぁ」

笑い合う二人に呆気に取られる。
これが武人同士の何かだというのだろうか?

「いいぜ。始めなよ。どーせあいつは来ようが来まいが一緒なんだ。そうなんだろ? 皇帝陛下」

真っ直ぐな眼差しに、僕は思わず気圧された。
皇帝は、僕。
兄はもはや関係ないと言った口調に、猥小な自尊心が悲鳴を上げた。

「財務官」

ハインリヒ将軍が欠伸を噛み殺しつつ、右手を振る。
立ち上がった初老の男は、白の混ざり始めた頭を揺らしながらか細い声で国庫の現状を読み上げ始めた。
細々と綴られる情勢は明らかな軍備に傾いて、嗚呼僕等には計り知れやしない。
師団1つを養うのに、いくらいるのかすら知らないのだ。
ましてや、北方の遊牧民族との小競り合いに、北方軍の第13小隊。
西のスウェロニアとの政治的緊張のため、西方第25大隊が目下展開、下手すれば開戦中。
兄は、
兄は。

「いつもこれを…?」

飛び交う数字と、現場将校たちの罵声。
急先鋒は、あのハインリヒ将軍だ。

「だから、現在の予算では到底無理だと……」

「西方軍に死ねと言うのだな、お前は」

「西方には、城砦があるじゃねえか。大地は肥沃で稼ぎもいいってのに、自分でなんとかしろよ」

「できるならしてますよ。北軍はいいですね、いつだって優先優先だ」

「んだとあぁ? 俺達だっていっつもギリギリでやってんだ。極寒対策は金かかんだぞ」

「東からいくらか割けないものか。そちらはネインクルツだろう。危険は少ない」

「よく言う。自分のところから出そうとは思わないんだね、南方軍は自分主義だ」

「……我が方も、隣国との中間地帯に暴動の動きがあって差し迫っているんだ」

侃々諤々の議論は、いつも僕をのけ者にしてゆく。
知らぬ言葉、解らない数字、
今まではそれでもよかった。
僕は王位第2位の――王の予備でありさえすればよかったのだから。
兄は死なぬ。
兄は負けぬ。
だから僕は、ただのお飾り。
室内の空気でいられたのに。
急速に萎んでゆく自尊心を胸に、思わず目を泳がせた。
その時。

「何をしている、クラウス。胸を張れ、誰が落ち込んでよいと言った、馬鹿者が」

盛大な音とともに、目の前の扉が開け放たれる。
飛び込んで来たのは、兄の声。
そして、淡いライム色のドレスをはためかせた、一人の女。
仁王立ちした彼女は、ふんと鼻息ひとつ、づかづかと室内に歩み込んできた。
ざわめく一同。
僕はかつて、こんな粗雑な振る舞いをする異性をみたことがなかった。
いや、それより兄は?
兄の声がしたということは、あの兄の関係者なのだろう。
しかし、扉の向こうを覗き込めど、あわてふためく侍女たちと、ひとり優雅なアンネローゼしか見当たらない。
兄は?
この女性は何なのだ?
その間にも女のヒールが大理石を叩き、咎めようとした官吏を軽く振り払って、女はドレスの裾を引っつかむと、部屋を横断する机に飛び乗った。
書類を蹴散らし、皺を刻み込ませて、僕の前に立つと、しげしげと覗き込んだ。
ルージュを引いた唇を、にいやり、

「言葉もないか、馬鹿者が」

「アーデルベルト、それではただのガサツ女だ」

引き笑った女に、呆れた騎士が溜息を零す。

は?
今、なんと?

「それにしても、アンネローゼ公のそれは凄いな。魔法か?」

「元がいいんだな、ははん。俺、黙ってれば美形で噂は絶えなかったからな」

「いつの話だ、いつの」

空気が固まる。
恐らく、この場に居合わせた全ての人間が状況を飲み込めず立ちすくんだ。
わずか、3人を除いて。

「あらあら、坊ちゃま――いえ、お嬢様でしたわね。そんなことをなさると、せっかくの御召し物が崩れてしまいますわ」

至極穏やかに咎めた侍従長は、「あんなに大変だったんですから」と少し拗ねるそぶりを見せる。

「長年の積み重ねで、どこもかしこも男性のような身体を、ごまかすのにどれだけ苦労したことですか。全て直線なんですからね。締めるも上げるもできやしない」

「ブツがないこと以外は、殆ど男だからな。俺」

「ベルト、下品」

繰り広げられる発言の数々に、信じられない真意を読み取り、驚愕より先に絶句が落ちる。
いや、まさか。
何の悪い冗談だ?

「おい、ライマー!どっ……どういうことだ!説明しろ!」

中でも一番青くなっていたハインリヒ将軍が、敢えて本人ではなく騎士の方を呼んだのは、無意識の逃げだったのだろう。
しかしながら、当の騎士は、「あー」等と適当に言葉を濁し、「本人に聞け」と話題をほうり出した。
長い睫毛をキョトリとしばたかせた女は、しかし説明を落とそうとはしない。
仕方なし、口を開いたのは、かの侍従長であった。

「アーデルベルト陛下がお生まれになった際、先の妃であらせられる母君が体調を崩され、子を望めぬ身体となったことは皆様もよくご存知でしょう。
その際、ひとつの問題が浮上したのでございます。
代々王家は"正当なる男児一人に"継がれるべきもの。
しかしそれが、」

「産まれた子が女だったのだ」

つまり、俺、と酷く楽しげに彼女は呟く。
へ?女?

「新たな子を成せば、育つのに何十も時がかかる。
更に残念なことに、我が母は病の身だ。
取りあえずの代価措置として俺を男と偽ったものの、我が9つを過ぎた辺りから、流石の王も焦りはじめた。
王家の者は、別れるもできぬ。
"謀殺するにも、時間がかかる"」

「謀……殺?」

「先の女王は、暗殺されたというのか?」

「むろんだ。母は暗殺された。でなければ、箸にも棒にもかからん駄医師が、王室の専属医となれる筈がない」

「現に、表向きクローネ様の死因は原因不明の突然死とされておりますが、埋葬間際のぞき見たアーデルベルト陛下の主治医によると、『あの肌色は、東北の高地に自生する野草に当たったに違いない』と首を捻っておられましたからね」

「母はもとより身体の関係上王室を出ることは有り得ぬ。変人故の博識とは言え、あの男に『あれだけの変化を見逃す筈がない』とまでいわしめた変調を見逃すということは、余程の馬鹿か、それとも――、」

ニヤリ笑った笑みが冷ややかで、おぞけだつと同時、信じる以外道はない気がした。

「そこで、先帝アルベルト陛下は、それまでのタイムラグを穴埋めすることになさったのです。
新たな継承者が現れるまで、お子を"正当なる嫡子と偽って"」

「そ……っ、そんなことあるか!
これが女?
馬鹿言え、誰がどう見たとしても、男だろう!
お前、平気で人前で上半身曝すくせに、誰がそんな戯れ事を……」

「成長過程がおかしいのだから仕方なかろう」

「……ハインリヒ、残念だが、認めた方がいい。こいつは、育ちは男だが、土壌は女なんだ」

「信じられるか!第一、こいつには、女らしさのかけらも見当たらないじゃないか!母性があるか?むしろ酔ったら女侍らせてへらへらしてるような野郎じゃねぇか」

「環境が人をつくるといういい例」

「俺、酒にゃ飲まれねぇよ。心外だなぁ。酔い潰れたお前ら野営に連れて帰ったなぁ誰だよ」

「翌朝傷だらけだったがな」

「だーっ!とにかく!そんなこと、信じられん!」

「面倒くせぇな……見せるか?」

「見せるな」

「だって、それが手っ取り早いぜ」

「ホント、お前中身は親父だよな」

「見せる見せないって、何をだ!」

「下」

「…………」

「俺、人前で下穿き脱いだことない筈だ」

「嘘つけ、一人知ってる奴がいるじゃないか」

「あれは、不慮の事故だって。寧ろ過失はあっちにある」

「……おい、ちょっと待て。話が読めん。女いかんは置いといて、誰が知ってて、誰が知らないんだ?」

「極秘事項でしたので、ご存知なのは、判断を下された先帝アルベルト陛下と、母君にあたります第一王女クローネ様、乳母のアンネローゼ公、側近の私ともう一人の騎士、それから……」

「コバエが1匹」

「コバエは可哀相だろう、ベルト……」

「お前が生まれた時立ち会った奴らは?乳母だけな訳がないだろう」

「皆死んだ。"不慮の事故"だよ」

場に沈黙が走った。
たしかに、兄が生まれた時代は国内としても混乱期だったと聞いている。
戦乱が拡大し、内政が乱れ、人々は引っ切りなしに入れ代わって。
だが、それを平定したのも、かの先帝である父だった筈だ。それが、何故――、

「何なら、俺の主治医に聞いてみればいい。何故国内の博識な名医権威たちが宮廷医として招かれぬと思う? 俺様を《女として育たなくできた》のは、あのエセ眼鏡だけなんだからな。と言っても、今奴は東の果てまで行くとか何とかで国内にはいねーけど!」

ケラケラと屈託なく笑う様は、在任中はついぞ見たことのないもので。
何やら信じるしかないと断じるようになる。
たしかに、それが理由ならば、兄が王位を退きたがるのも解る気がしたからだ。
彼女――もはや、兄の亡霊は、満面に笑みを浮かべ、手を差し出した。
剣を握り慣れた、どこか厳つい指。
しゃらしゃらと涼やかに音を立てる装飾具とはミスマッチだ。

「はじめまして、君の生き別れのおねーさんだ」

妙なことを口走った。

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