クインテットビショップの還幸

7章 戦線打開、抗え兵士ども


一瞬空気がざわめいた。
敏感に感じ取った騎士二人が廊下背後を振り仰ぎ、喧騒から何かを掬い取ろうと目配せをする。
届いたのは、一際大きな怒声。

「ライマー!」

こちらを認めたらしい相手は、成る程血走った目に苛立ちを乗せて騎士を呼んだ。

「……何だ、ハインリヒか。 北軍は帰還したのではなかったか? 長であるおまえが、帝都にいてどうする」

「あぁ? そらまぁ、帰らぁよ。 アズバランはまだ来てねぇが、スヴェの奴らはバチ糞展開してやがるからな。 合流されちゃ訳ないが、今の現状なら北軍で持ちこたえられる。 それより、聞きたいことがあって来たんだ。 ……っと、あ? なんか懐かしい顔」

「久方ぶりだ、ビットナー家の。 随分と変わりないようだな。 粗雑で、野卑な」

「中央軍を、西へ送ることになった。 指揮官不在になる為、代行として帝都に」

「……そういうことだ」

目をぱちくりさせる将軍へ、彼はにやり、口角を上げた。

「それで、何だ? 北軍だけじゃ対応出来ない事態というのは」

大袈裟に肩を竦めてみせた彼に、わずかたじろぎながら将軍は目を細める。

「お……おう。 いや、事態というか……確認なんだが、《王家二等勲章》は、《俺とベルトの二人しか》持ち得なかった筈だよな?」

紡がれた初歩的な問いに、騎士は小首を傾げて考え込んだ。
と、いえど、いくら考えても真実がそうである以上、肯定しか生み出せないのだが。

「その筈だが」

「歴代で持たされた者は?」
「先の内乱介入でのアズバラン征圧戦で、新設された徽章だぞ。 他にいるか」

「だよなぁ……なら、どういう……」

頭を抱えた将軍と、意図が解らぬ騎士が互いを探るように視線を交わす。
その先に、答を示したのは、予期せぬ声だった。
将軍の背後、屈強な北軍兵に囲まれた姿は、涼やかな声のみで空気を切り裂いた。

「ですから、申しておりますように、正式にいただいたのですわ。 御本人から」

落ち着いた、女の色。
苛立たしげに振り返った将軍の影、姿現したのは見慣れる褐色の肌をした女だった。
おおぶりのピアスに、薄手のゆったりとした原色衣装。
漆黒に近い髪は、しかし見慣れた東洋人であるハナブサ女史や医師とは完全に違うもの。
長い睫毛に憂いを浮かべ、視線を上げた先には、深い鼈甲色があった。
息を飲んだ気配。
僕の前、将軍と向かい合っていた騎士が、わずかたじろいだ。
彼の動揺を見たのか、彼女はふと無比な微笑みを浮かべ、優雅に膝を折る。

「ご無沙汰しております、将軍閣下。 再びお会いすることになるとは、至極光栄」

布端をつまみお辞儀。
見えた背は細い。
当の騎士は驚きに言葉もないようで、意味を持たない唸り声の後、ただ一言、「なんで」と呟いた。

「おい、ちょっと待て、状況が分からん。 俺達にも理解できるよう説明しろ」

他に焦る人がいると、周りは逆に冷めるものだ。
落ち着いたらしい将軍が、目の前の肩を掴んだ。 意識を飛ばしていた騎士は、ゆらりと視線をさ迷わせて、ゆっくり焦点を合わせて来た。

「こいつは、誰だ? おまえは、知っているのか? 赤の他人のこいつがなんで……俺とベルトしか持たない二等勲章を持って現れたんだ?」

動揺に意識を飛ばす彼にもわかるよう、意図的に優しく語りかけた将軍に、騎士は震える唇を開き、言葉を発した。

「あれは……アーデルベルトの、寵妃、だ……」

場に、緊張が走った。

「寵妃って……おまえ! 妾ってことだぞ!」

「分かっているさ! だが、他に言いようがないんだ! 一時期、公務以外はずっとはべらせていて、毎晩のように寝室へ招いていた女。 これを寵妃と呼ばずして何と言うって?」

「ちょ……ちょっと待って下さい! 兄さんは女だったんですよね? それが、何で女性の妾を持つのです! いくら、女好きを自称していたとして、現実は……」

「そうですよ! 奴は他人という生き物自体が苦手なんだ。 戦場で育ったから、情緒も不安定、カモフラージュとして女の尻を追うことはあっても、実際に手をだすことはないと言って過言ではない。 だから、あの一時期は俺が一番理解できない時代だ!」

混乱を極める一同を、女はただ得体の知れない笑みで見つめる。
しかし、出る筈もない答えを探してぐるぐると論議する様に耐え兼ねたのだろう。
輪の外でいつの間にか小さな笑い声が上がっていた。
口元を押さえ、目元には涙を浮かべた彼女が、ようよう顔を上げた。

「真実を教えて差し上げましょうか。 わたくしは、あの方のおっしゃる通り、先王の側女でしたわ。 喧伝もされた。 しかし、そんな事実は《なかった》のです」

ようやく意志の強い視線を向けて来た彼女に、居合わせた者たちは怪訝な顔をみせた。
真意がはかりえなかった。

「あの方が、悪に徹することが出来ない方だということは、皆様よくご存知の筈ですよ」

「ああ……まぁ、そうだが……。 それとこれとに何の関係が……」

「言いましたでしょう? 《そんな事実はなかった》のです」

同時、もう一人の騎士が感嘆を漏らした。
視線が一気に集まる。

「……成る程、そういうことか」

「おい、ちょっと待て。 一人で納得すんな、俺達にも説明しろ」

「偽称を隠し通したということですよ。 相変わらずの同情が出たのでしょう。 彼女は《流民》です」

確かに、目の前立つ女性の姿は異端だ。
黒いウェーブがかった髪に、彫りの深い鼻筋。
独特の衣装と、完全に我が国の文化ではない。

「……嘘を突き通すことで、あれを守り通したということか」

視線を上げた騎士が、片割れに呟いた。

「あれは恐らく、忌避民族だ。 行商する民族は手先が器用で便利ではあるが、土着の技師が打撃を受ける。 だからこそ嫌われ、悪意なく追われることが少なくはないが……」

「王家の女という格を持たせて、彼女が民から邪険にされないようにした、と? しかし、何故そんなことをせねばならない。 奴には何の利もない筈だが」
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