クインテットビショップの還幸

7章 戦線打開、抗え兵士ども



「まず、ライマー」

「何だ」

「一番速い伝令を付けろ。南に送る」

「南へ?」

「ああ。軍事同盟を結ぶ」

「……停戦を約束させる、ということですか?」

「いいえ、もっと上です。 ……終戦を締結させます」
南方の駒を前に、腕を組み刮目した彼の背に、皆の視線が注目した。

「戦争が終わりを迎えるには、いくつかのパターンがあります。 徹底的に叩き潰す、お互い無益に手を引く、敗者たりえそうな側が見返りをもって譲歩を引き出す、第三者が介入する……。 我が国は現在まで、食い尽くすことを主眼として参りました。 しかし、その実得られた利益というものは実に少ない」

「噛み付いたが故に疲弊した国土と、血を流したが故生み出された憎しみくらいなものだろうな。 ……最たるものが、現在の南方紛争な訳だが」

「そう。 だからこそ、今現在に至る彼らとの禍根は根深い。 彼らが戦況を妥協するのは、もはやあるまい。 理由すらなくなってきているんだ。 奴らにとって、ベルンバルトは敵。 ただ、それだけになりつつある」

「今回の混乱に食いつくと?」

「乗じない理由がないだろう、積年の仇が他の手によるとはいえ弱るんだから」

「……言い切るなぁ。そこまで分かっているんなら、理解くらいできるだろう。 そこから、《勝ちを取るのは難しい》 停戦に持ち込むことすらできないだろうに、終戦なんて」

「最後の手段に出る」

組んだ腕を払い、彼は駒を一つ、取った。

「理由が完全に無くなる前に、終わらせる。 《理由自体を無くす》」

一つ。
静かに倒したのは、海の端、離れて立つ駒。

「領土を手放す。 南方海域、薙粋(チキ)保護区クラカン諸島」

空気が、一瞬にして凍り付いた。

「おま……っ、あれは長らくベルンバルトの……っ」

「わかっている。 だが、庇護を与えた完全自治国家であった御祖父様の時代とは違うんだ。 当て付けでアルベルト閣下が落とし、併合した時点で奴ら、憎しみしか持ち得ない。 平和主義だった指導者を殺したとなれば尚更」

「もはや、我々に妥協という概念はないのだよ」と忌ま忌ましげに呟いて、彼はゆっくりと振り返る。

「植え付けられた憎しみを、かつての栄華で擦り寄せるのは不可能に近い。 かつて仲がよかった。 だからって、家族を殺された今、手に手を取り直せるか? ならば、はじめから全てを手放すしかない。 奴らが求めているのは《祖国の復建》だ。 実動部隊は、もはやベルンバルト憎しに染まってはいても、独立軍上層部はまだその意志をもってる。 そこを、叩く」

「目的を失う前に……ですか」

「長らく戦線を展開していると、もはや何故始めたのかわからなくなってきます。 味方が殺されたから。 家族が殺されたから。 ただ、殺さなければならないから。 そうなれば、互いに妥協等得られはしません。 ただ戦うことが目的に成り果てますから。 ですから、戦争というのは即時決戦、即時締結がよろしいのです。 我々は、そこを蔑ろにしすぎた」

「しかし、それで独立軍が納得するでしょうか? 今までのいざこざもあるでしょうし……」

「現在敏腕を振るっているのは、かつてかの国を導いていた女傑の右腕だった男です。 和平を尊び、停戦と引き換えに自らの身を投げ出した彼女の意志を継いで、姑息なことはしますまい。 ……むしろ、納めるには今をもって他にないのです」

苦々しく吐き出した彼は、ため息のまま、再び目を閉じた。

「……わかりました。 南は手放すことにしましょう。 それで、南軍戦力を宙に浮かせるのですね」

言って、その苦さを痛感した。
奪うのは簡単だ。
しかし、既に得たものを失うのは予想以上に心象を悪くするらしい。
例え、それがあるべき者の手に戻るのだとしても。

「ええ。 その上で、彼らを西――若しくは帝都配置とします。 しかし、こちらの要望があちら側の思惑と合致したとして……停戦協定も二、三日で結べる訳ではありません。 それまでは、南軍も張り付けで使えはしませんが」

「それまでは?」

「……あがくしかありません。 独立軍が席上につくまでは」

眉根を寄せた騎士が、腕を組み、盤上を覗き込んだ。
倒された南の島。
その黒き駒を立て直し、小さく唸る。

「形勢はどうする。 南方軍が浮くまでとはいえ、西は一触即発だ。 タイムラグが大きい」

「だからこそ、だよ馬鹿者。 今、重視すべきは外殻だ。 絶対防衛線の死守でしかない」

「帝都軍を送るということか?」

「他になかろう。 北は配備なんだから」

「しかし……一度敗られたらことだぞ。 丸腰で腹潜り込まれるに近い」

「だからこそ、急ぐんだ。 南方軍の捕縛を解くことを」

「……それまでは」

「丸腰。 腹に潜り込まれないよう、攻撃の手を緩めないだけ」

同じ目線。
厳しい視線をかちあわせる赤と青が黙りこくった。
彼らの髪がふわり、風を孕んだ時、「その心配はありませんわ!」と鋭い激が飛んだ。
弾かれたように目を向けた二人。
その手前、鈍い音を立て空を切り裂いた影に、横から何物かが踊り出た。
ぴょろろろっ!
響き渡る声。
大型鳥特有の眼光を光らせ、二羽の鳶が飛翔した。
身体の大きな片割れの爪に、バキリと割られる一本の矢。
彼は少しばかり笑って、功労者の名をよんだ。
風が凪ぐ。
舞い散る紙片に影を落とし、黒塗りとなった窓辺のシルエットが、身じろぎひとつせず笑った。

「帝都のことは、お任せを。 私たちは元々、狩猟民族よ。 訓練された軍団には及ばないやも知れないけれど、ここにいる誰よりもこの界隈のことは知ってるわ」

「……失われた民、か。 正規軍配備まで、都自体空になるがよいのか?」

全く、どうやって入って来たのやら。
しかし、何故だか僕は思わず笑ってしまったのだ。
彼女が――あの日と代わらず勝ち気な視線を日の下へと曝したから。

「一度救われた命よ。 あの方にお返しする時が来ただけ。 老人から女子供まで、同じ血を得た人間は皆、同じ気持ちだわ。 そのために、国内へ戻って来たんだもの。 任せてくれて、構わない」

忌避民族の少女。
彼女の申し出に、彼はふと口元を緩め、「存在せぬ駒とはな」と小さく呟いた。

「了解した! こちらは、おまえたちに任せる。 ライマー、西へ送るぞ。 中央軍を、全て!」
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