クインテットビショップの還幸

7章 戦線打開、抗え兵士ども


門が開かれたことは知っていた。
サインをする傍ら、窓下のざわめきに気付いていたから。
何とか切り上げ扉を開くと、足を踏み出した先、廊下の果てからざわめきが近づいてくる。

身構えた。
朗報か凶事か。
それすら知らされていなかった。

上がる嬌声。
大半は、驚きと歓喜。
囁きはそりゃあまぁ、好意的なものばかりではないやも知れないけれど、僕の目に映る限りは、純粋な喜びに満ちて見えた。
少なくとも、僕の主観。

人並みが割れる。
気難しげな騎士が歩を進め、その後ろに。
鮮やかな、

ぴゅよろろっ!

風が吹きすさんだ。
開け放たれた窓という窓がわなないた。
人影にはためいた赤きマント。

「……ベルカさん!」

僕の背後から吹き抜けた風に高い天井を仰ぎ見た人。
あの、しんとした純白の中で出会った青とは真逆の紅蓮が、同じとは思えない射すような視線を落とした。
両肩、降り立つ鳥。
ひと呼吸置いて収まった風に、きょろり辺りを見渡して、主の眼たらんと小さく鳴いた。

僕の声を聞き分けたのか、ふと口元を綻ばせた彼が、優雅に膝をついた。

「拝謁、痛み入ります陛下。 わざわざ御足労いただく等、至極恐れ多い。 あらためて自己紹介を。 わたくしは、さる方の命により兄上君へ遣わされた騎士記章の配下、ベルカ・ハマトワ。 司るは赤き瞳を持つ巨大鳥であります。 失われた視力故、再び剣振るうことは出来ませんが、この知略をもって微力ながら尽力いたしたく馳せ参じた次第。 是非とも、随意に戦局へお連れ下さいまし」

下げられた頭に非の打ち所はなく、思わずこちらまで背筋を正さねばならなかった。

「ルカは、博学にして知謀の覇者です。 かつては、三十万の兵に匹敵するとして、ベルトの腕とともに畏れられた人間。 これより先、戦局の左右を彼に託そうと思います」

「……わかりました。 将軍が言うのなら確かなのでしょう。 宜しくお願いします、ハマトワ将軍。 我々の命運を、貴方に託します」

「もったいないお言葉。 しかし、陛下。 わたくしめは、一度都を去った者。 階級等返上した身です。 お気軽に、ベルカ、とお呼び下さい。 兄君さまがそう、なさるように」

ふわりと微笑んだ彼は、正しくあの日、あの塔で出会った従者そのものだった。
清々しく鳶が鳴く。
風を巻き上げ、飛び立った先、彼は迷いなく歩を進め始めた。
弱視力等、何も関与しないように。

「ライマー、状況を説明しろ。 蟄居していた俺には、国内情勢が疎すぎる」

「現在参戦国は、帝国スヴェロニア。 宣戦してきたのは、ネインクルツとアズバランだ。 東は、早々に進攻してきたスヴェロニアに東都付近まで落とされた。 現在は小康状態。 西方、ネインクルツは現在戦闘準備を終え、展開中。 これに、南回りで加勢に来たスヴェロニア兵が合流予定だ。 元々西方軍は武力に乏しい為、北軍所有の軍隊を送り擁護していたが、現在、急遽参戦表明をしてきた北部アズバラン大帝国を相手取る為、北軍は帰還したがっている。 南は、軍事国境付近に某南方義勇兵が抗戦。 南軍から援軍は割けない」

「北軍が引く以上、帝都の軍勢を西へ送るよりないということか。 だが、それだとどこか一方でも突破されたら取り替えしがつかなくなるぞ。 帝都陥落は、国の潰滅に直結する」

「……そうだな。 だが、帝都を守る為戦力を温存して、西を陥落されたら意味がない。 西都には、聖地がある。 フォッセンブルクを失えば、国としての威信は失墜。 帝都を失うことと同義なんだ」

思わず頭を抱えた騎士に、彼は小さく唸り声を上げた。

「……ったく、見事に状況最悪だよなぁ。 あァ?」

「……実に申し訳ない」

「ああー……もう、しょうがねぇ! 戦線を構築しなおす。 いいか、誰も文句は言うなよ。 まず、東軍。 これは、戦線膠着で違いないな?」

「その通りだ」

「ならば、東を西へ送ることは?」

「それも考えた。 しかし、東部スヴェロニア軍が西へ向かい、戦力が減ったとはいえ、油断は出来ない。 アズバランがなだれ込む可能性もある」

「まぁなぁ……東も手をつけられない、か……。 困ったぞ。 こうなると、《どこにも援軍を出すだけの膂力がない》ということになってくる」

「……架空の兵は出せない。 そして、各軍全力を尽くして闘うだけの敵を抱えているということだ。 全戦力を投入しても……或は」

「はんっ。 すンばらしいねぇえ。 絶望的じゃないか。 それで、当のお姫様は不在? ふざけんな、おまえは一体何してやがったんだ、あんまりだぞこれじゃ」

「……悪い」

「ま、そこまでしないとなんない状況になるまで俺には頼りたくなかったんなら仕方ないだろうしな。 怨むなら、自分を怨め。 ったく、どーすんだよー……案外強敵だぞー」

「何とかなりますか?」

ばつの悪さに俯いてしまった騎士に代わり、僕は問い掛けた。
恐らく、皆が知りたかった答え。
すると彼は抱えた頭そのままに、にいやり、口元を。

「……申した筈ですよ。 《案外》と」

大きな飾り扉を開き、迷うことなく大広間の空を切る。
鳥が鳴いた。
高らかに。
広げられた地図は、何度も向かい合った戦局図。
僅か指先を泳がせた彼は、するりと目を閉じて地図上に指を滑らせた。
東、北、南、西。
並べられた双方軍を示す駒を手に馴染ませ、最後に帝都へとたどり着く。

ふむ。
呟いてしばし、顎に手をやると考え込むよう息をついた。

「……陛下」

「はい」

「今回の戦、いかなる犠牲も厭わないと約束していただけますか?」

「どういう……意味、ですか」

「わたくしの行うことに是非を付けないでいただきたいのです。 多大なものを失うかもしれない。 寧ろ、そのつもりでなければ戦えもしない戦です。 それでも尚、この国の名を、名誉を護りたいのであれば――」

「僕は、名誉等いりません。 ただ、兄を迎える家を遺したいだけ。 兄の愛した家族を、護ってあげたいだけ。 それがこの国、ベルンバルトというものだった。 それだけです」

きょとり、振り返った彼に、深々と頭を下げた。
見えてはいないかもしれない。
でも、そうせざるをえなかったのだ。

「僕の《家族》を、護って下さい」

言い切って後、ふと力強い力で頭を撫でられた。

「……了解した」

自嘲気味に笑った背が、再び盤面を睨んでいた。
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