クインテットビショップの還幸

第2話 混沌の聖地



キョトリと目をしばたかせる一同を一瞥し、先客の正体に鼻を鳴らした。
扉の隙間、かいまみえた廊下には、衛兵が点々と散らばっている。
彼を止めようとしたのか、いやはや……。
血の気の多い顔に振り向かれ、兄は大仰にため息をついた。
戦場でもあるまいに。
紡がれることのない言葉は、薄い唇だけを動かし、しかし真意を伝えるに十分すぎた。

「ベルト、アレはどういうこった!」

声を荒げた男に、兄が侮蔑の目を向ける。

「そのままの意味だよ、ハインリヒ・ビットナー将軍」

「俺が聞いているのは、《何故》そんなことをする必要があるのか、だ!
俺は、王位継承なんぞ、認めん。
各軍内外からも不満の声が上がっている。
これは、指揮権を持つ俺――ひいては、北方軍総意だ」

「深呼吸しなよ、鼻血出るぞー」

暢気に上がった声は、兄にへばり付く皇子。
まるで汚いものでも見る如く視線をくれて、男――ビットナー将軍は舌打ちした。

「テメェは黙れ、卑怯者。どうせお前らは、自分の国だけよけりゃいいんだろ」

「ハインリヒ、口が過ぎるぞ」

「お前は何とも思わないのか、アーデルベルト!
奴ら、地理的に俺達が防波堤になっているとはいえ、国に引きこもったまま支援もしない、派兵もしない!
それで困ったらうち頼み?
ふざけんじゃねぇ」

「引きこもってないよぅ。外交も貿易もちゃァんとやっちょうし。ただ軍事中立なだけで」

「それが釈にさわるんだ!
困った時は他人頼みで、そのほかは対岸の火事なんだろ」

「それが独立国家だ、ハインリヒ。彼らには彼らの言い分がある」

「そうですね、今回ばかりは同意しましょう、ブライトクロイツ陛下。
それを理由にフローウァンへ戦争でもしかけたら、それこそ野蛮人種だ。
それより、ビットナー将軍?
貴方は、この暴君に意見を求めにいらしたのでは?」

絶対の信頼を置く兄どころか、隣国の王にさえ非難され、頭に血が昇ったのだろう。
ハインリヒ将軍は、悠然と佇む隣国代表につかみ掛かった。

「毎日、ベルトベルト、って付き纏いやがって、やってること違うじゃねぇか」

「それは、元首の方針だからなぁ。
だからこそ、あしは妥協案出しとるんに」

「妥協案?」

「あしとベルトが結婚して、並列国家になればいいんよ。
したら、お前の危機はあしの危機じゃし、そっち侵略されても、堂々派兵が出来、」

「「よくねぇ」」

「俺は誰も娶らん。
子孫も作らん、王位もいらん!
いい加減諦めろ馬鹿者」

「どうせこいつの軍団狙いだろう。
こいつさえ味方につけりゃ、悪魔のベルンバルト軍は自在に動かせるもんなぁ。
そうはいくか。
こいつは一生この国を離れんぞ。
はは! 残念だったな」

「ち……ちょっと待て、二人とも。
流れで上手くスルーしたけれども、彼は男です。
娶るも嫁ぐもない」

「「こいつは法律変えかねん」」

「嗚呼……、」

「とにかく俺は認めんからな!
戦地で従うに値するのは、後にも先にもベルトだけだ。
それでも王座を蹴るというのなら、俺達北方軍は、今後一切帝都指揮下には入らない。
何があってもだ!」

「随分な忠誠心ですねぇ。話も聞かず、断定ですか」

「お前はひっこんでろ。これは、ベルンバルトの。ブライトクロイツ王家の問題なのだ」

「そこに貴方が何故関わるのです? ハインリヒ・ビットナー将、軍?」

あからさまに名前を強調した彼に、ハインリヒ将軍は怒りで顔を染める。

「俺は、こいつのハトコだ!!」

「ほとんど他人ではありませんか。
それに、親類であったとしても、その言い分は如何なものでしょうか」

背筋を寒気が這う。
命の危険すらをも感じさせる、そんな瞳で。

「ライマー将軍」

「はっ」

いつの間にやら背後に立っていた騎士が、兄の問い掛けに応え、歩み出る。

「シリウスを呼べ。北方軍を喰らう。それから、各地方区に意見を求めておけ。僅かでも、反抗の意志を見せた者は南方の島に送ってやれ。軍閥には、シリウスに部下を派遣させろ。嗚呼、従わなければ、実力行使も構わない。そうだな、いっそ殺してしまった方が楽かもしれんぞ。新たな王を認めん者は全てだ!例外は認めん。王家に連なろうと全て!いい見せ示となろうなぁ。歴将の首でも城門に吊れば、抗おうとする者も失くなろう」

将軍の顔から、するすると色が無くなっていく。
可哀相に。幾多の武勇を共に駆け抜けてきた驕りか、彼は兄を甘くみていたのだ。いや……自分の意見ならば聞き届けてくれると信じていたのか。
それを知りながら兄は、背後に控えた騎士に、小さく耳打ちをした。

「死体は、北方戦線にでも紛れさせておけ。あそこなら、体裁も悪からんだろう」

漏れ聞こえる笑い声。
兄の笑い声は、殆どの人に絶対の恐怖を味わわせる。
以前、彼が笑った時は、南部の村が一つ消えた。


兄の忠実な下僕が了承を告げるより前に、激昂に染めていた頬を青ざめさせて、将軍は小さく舌打ちをした。
黒い目をしばたかせた騎士が、「だ、そうですが」と呟くと、兄は小さく手を振った。
深く頭を下げたライマーが、大人しく引き下がる。
忠誠心の熱さは、王位絶対を打ち立てる帝都防備隊の本分、その全権指揮官たる彼らしさということだろうか。
対して、進攻を繰り返し未だ燻る戦火を燃やし続ける北海の騎馬民族と対峙せねばならない地理的要因と同時に、北方より流れ着いた流浪の民の集合国家という歴史的検地からも、猛将で有名な北方十字軍の覇者であるハインリヒ将軍は、今は雄々しき爪を潜め、ただうなだれるにまかせている。
なかなかに不思議な図式であった。
作り出したのは、この兄。
神であり、国の王。
絶対であり、世界の覇者。
彼の言葉は絶対。
彼の意志は偉大。
尊大にしてぞんざい。
それでいて、正義。

「とにかく、王位は取って代わるのだ。口答えは許さない」

兄は急に詰まらなそうに口を尖らせ、けぶる紫煙を吐き出した。
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