クインテットビショップの還幸

第5章 罠撒く人の子、罪つくりの庭



「剣は、おまえが護ってきた辺境軍の生き残り」

「ふむん?」

「代価は、極秘での先代王の捕虜化」

「……孤立した軍助ける為に、そっちの手に落ちろ、ってね……」

「勿論、待遇は特級にする。
ただし、捕虜交換ブックには応じない。
我々は、おまえを見つけてはいない」

「だから、極秘!
まぁ、載せちまったら、一番に本国に連れ戻されちまうからなぁ」

分隊長は、さも楽しそうにケラケラと笑うと、ふと真顔に戻って「ゲスが」と吐き捨てた。

「デッドオアアライブ。
多を生かす為に手に落ち、生きた屍として祖国の敗北を目撃するか、若しくは争いを止める為名実ともに略取されるか。
成る程ねぇ。
それだと確かに、おまえ側にはリミットがない。
取り戻される心配もなく、じわじわ敗北を見せ付けるだけでいいのか。
脱城してきたのが仇になったな。
しかし残念。
おまえのプランには、俺様がそのどちらも選ばないということは含まれねぇの?」

「……どちらも?」

「俺が自ら死を選ぶ」

怪訝な顔をした王子に、分隊長はさも当然のように言い放った。

「だって俺、一度は死を選ぼうとした人間よぉ?
親父殿のプランにも組み込まれてたし。
元々、俺様の存在がベルンバルトの枷にならないよう必要だっんだから、正に今この状況じゃん?
今更命なんて惜しかねぇよな」

「それはしない」

「……何で言い切れる」

「俺の手をよく知っているのがおまえなように、おまえの手をよく知っているのも俺だからだ。
おまえは、他の奴らと違って甘い。
チェスをさせば、手駒を出来るかぎり温存した形で取りに来る。
噂に惑わされ、犠牲を厭わない冷血だと勘違いしてかかれば、毛の先程も切ること叶わず食い尽くされるだろうな」

「へぇ。
じゃあ逆説で、俺が温存する人間だとしたら、多数を守る為に払う少数の犠牲なんかへとも思わねぇんじゃねぇの?」

「……おまえの悪いところはな、最大に護るべき国王ですら、同格の駒でしかないということだ」

分隊長は、答えない。
ただ、静かな湖面のような穏やかな瞳を向けつづけるだけである。

「王とは、護るべきものだ。
最後の砦だ。
それをおまえは、《他の駒を生かす為》簡単に捨ててしまう」

「同じ人間には変わりないさ」

「だが、希望だ。
最後に残るべき矛なんだ。
それを、おまえは――」

「利用しようとする人間が言うな、小賢しい。
俺がこいつらを見捨てられねぇって言いたいんだろう?
嗚呼そうさ。
一度は受け入れた駒だからな、最後の最後まで護ってやる。
どうせ、死ぬって脅しも効かねえんだ。
嗚呼そうだよ、俺が死んだら、こいつらも国も、どうなるかわからねぇってんなら、そりゃあ喜んでついてってやるさ。
くそっ!
だから、あの時死んどきゃよかったんだ」

まくし立てる口元。
言いかけて声にならなかった形は、多分だけど、《ごめんなさい》。
俺が弱かったから。
あの要求に負けてしまったから。
女は波乱を産む。
だから生きていてはならないと。
苦しげに屈められた腰に、涙を零しそうな程悲痛な姿は。

「とうさま……っ!」

小さく吐き出して後、糸が切れたように、両手をだらりと垂れ下げた。
かちり。
きり、きりっ。
機械仕掛けの人形がそうするごとく、かちり、かちり。
再び上げられた目は、平静を取り戻し――むしろ、底無しの淀みを抱えていた。
ぬらり、死にかけの魚は、焦点の合わない目を、それへと向ける。
己を追い詰める、宿敵へ。
もはや分かたれた同報へと。

「行くんだろ?」

奇妙に引き攣った口元。
笑った姿の何とぞっとすることか。
かつての友は、戻れぬと悟ったのだろう。
こちらも一瞬、痛そうに顔をしかめて、表情を殺した。

「……だが、俺は屈しねぇ。
それだけは覚えとけ」

去り際、まだ消えない獣の声で吐き捨てた男は、少しだけ思案して、大きく振り向く。

「トア!」

呼びかけられた声。
恐らく、これが最後の。
思わず塹壕から駆け出し、泥まみれの身を立てる。
敵なんか知らない。
あの人が呼んでるから。
愛しい声が、僕を呼ぶ、から。
ずたぼろで惨めな僕の姿を認めた彼は、出来るかぎりの満面の笑みを湛えたのだ。

「ちゃんと飯は食えよ、背伸びねぇぜ!」

だから、多分これが最後。
僕と分隊長ヴァン・メッサー――先代国王アーデルベルト・ブライトクロイツとの接点。
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