クインテットビショップの還幸

第5章 罠撒く人の子、罪つくりの庭



「皮肉か?
俺様は、もとより人の上に立つ人間じゃねーんだよ。
仕方なくいろいろやってはいたがなぁ、結局八人くらいが調度いい」

「はっ。
一国を担っていた人物の言う言葉とは思えんね。
しかも、当人は《絶対的指導者》として名高い人物だ。
何千も平気で始末したくせに、よく舌が回ること」

「ンだよ……。
おまえだって、たいして変わらねぇくせに……」

「俺は、そんな大々的にやらないもの。
ま!
おまえの場合、周りが動いた結果ってのが大きいだろうがなぁ。
特に、あの赤騎士だとか……」

ニヤニヤと嫌らしい薄笑いを落とす彼に、分隊長が鋭い視線を放った。

「てめぇ、俺の部下悪く言うんじゃねぇぞ。
その首、飛ばしたくなきゃあな」

今まで以上の威圧感に、外野である筈のこちらが竦み上がる。
嗚呼、あ。
これが。

《死神そのものの暴君王》

しかし、それすら怯える様子もなく、彼は笑った。
涙すら浮かべて。

「おぉ怖!
さっすが、ブライトクロイツ陛下だ。
威圧感は微塵も変わらない。
まぁ、そういうとこがカンに障るんだけどね。
何でもないみたいな顔しやがって。
それよりさ、答えを聞かせて欲しいんだけど。
まさか、あれが答えだっつーの?
ハッキリキッパリ結論出すブライトクロイツ閣下にしては、うやむやにしたがったみたいだけど」

「…………は?」

それまで威圧感すら醸しだしていた背が、僅かな間を置いて傾いだ。
完全に思い至るところがないのだろう。
はぐらかされていると感じたらしい彼は、暫く「それも外交手段? えげつない」だの「あれだけ大々的に要請送っちゃったから、他国も知ってるし、知らないふりをしても無駄だよ」と肩をすくめ続けていたが、流石に異様さを感じ取ったのだろう、焦ったように声を荒げはじめた。

「だっ……お前、正式通達だって……!」

「いや、俺、戦争はじまる前に野に下りてたし」

「じゃあ、もしかして、今回の宣戦理由も……」

「え、侵略戦争じゃねぇの?」

何をか焦り、早口でまくし立てては絶句する男と、訝しげに顔を歪めきょとんと首を傾げる男。
何だか、幼い子供のやり取りのようで。

一通り問いをぶちまけた男は、漸く目の前の人物が、何もかもを知らないのだと悟ったのだろう、盛大なため息をつき、肩を落とした。
それは一国を担うものどうしの会合ではなく、まるで気のおけない幼なじみがじゃれあうような緊張感のないもの。
しばし言い淀んだ男はしかし、頭をがりがりと掻きむしり、やけっぱちに視線を上げた。

「あー……うん。
順を追って説明するな」

「む? おう」

「この戦争は、一方的な侵略戦争じゃない」

「それで?」

「条件を提示した。
ベルンバルトは黙殺した。
俺達は拒否ととり、宣戦を布告した」

「で、国境になだれ込み、地図を塗り替えた……ってか。
ふぅん。
テメェは、自分たちの正当性を主張したい訳だな。
じゃあぁ聞いてやる。
テメェらがそこまでして報復しなけりゃならなかった理由とやらは何だ?
なまじっかな理由なら許さねぇぜ。
俺様は短気なんだ。
莫大な人の血ながさにゃならん戦争をかけてまで、お前が要求したのは何だ。
答えてみろ」

強い口調で問い詰められ、彼は小さく息を詰まらせる。
そして、何か拗ねたように口を尖らせ、そっぽを向いたのだ。

「…………お前の身体」

「…………はぃ?」

あまりに小さくて聞き取れない。
いや、聞き取れてはいるのだ。
先導者二人が休戦しているのだから、戦端なんて切れない。
ぴりりとした沈黙。
だから、その言葉は誰の身にも届いた筈だ。
ただ、理解が出来ない。
恐らく、この場にいた誰も。
それが更に恥ずかしかったのだろう。
思わず聞き返したもう一人に、焦れた彼は、やけっぱちに声を裏返して叫んだ。
もはや、誰も無視なんか出来ない程に。

「だーかーらっ!
お前との婚約を要求したのっ!
わかんないなぁもうっ!」

さも恥ずかしいことを告白した生娘のように頬を染め叫んだ声に、言われた本人から末端まで、完全に思考が停止した。
それだけの破壊力と突飛さだった。
一番に覚醒したのは、予想外にもこちら側。
あの小煩い上層部のお方。

「ちょ……ちょっと待って下さい。結婚?」

外野から声があがったことに僅か顔をしかめ、それでも男は力強く頷く。

もはや、隠れることも忘れたきぃきぃ親父は、ぴょこり、頭を晒しだし、不躾にも目の前の背を指差した。
いやいや、確かに指された背中も疑問に傾いで、威光もくそもない。

「これですよ、こ、れ!
確かに、性別云々の通達は出ましたが、これをですか!
けっ……けっこ……!」

「ごめん!
まことに申し訳ないんだけど、それ以上言わないでもらえる?
要求した俺も惨めになるから!」

「おい、てめーらー。
それは、俺に対する侮辱取って文句はないな。
よーし、歯ぁ食いしばれー己の背中みせちゃーぞー」

「兄貴怖!
それ、首切られてんじゃん!」

何やら始まったやいのやいのの掛け合いに、世界は完全に戦意を忘れている。
いや、直視したくないのか。
全員が全員、妙な高揚感に包まれている。

「というか、これに!
これに欲情できるんですか!?
この変態成人親父に!」

「ないわー。
ホントないわー……」

「いや……分隊長は自分のことですから……」

「だって、こう伴侶だの結婚だのっつーなら、胸がでかくてー、腰がきゅって括れててー、ふわふわの髪がさらふわ〜って……」

「……いや、でもそれが好きな人もいるかも!」

「馬鹿だなぁ、同性愛は宗教で禁止されてるぜー。処刑されるぜ、処刑ー」

「分隊長は自分の性別思い出してっ!」

「結婚しても、同衾しなけりゃいいじゃない!」

「うわっ!
なんかよくわかんねーけど、カッコヨク言いやがったよ、この王子!」

完全なる逃げだ。
皆わかってる。
それでも無駄に茶化してしまうのは……。
そんな中、がなり立てる一人の側へ、するりと人影が滑り込む。
背が高く、がたいのいい身体が僅か屈み込み、耳打ちした。
はためくのは、傍らにあるのと同じ、豪奢な衣服。

「王子。あまりお戯れになるお時間は」

伏せられた睫毛。
耳打ちされた主は、きょとりと一瞬めをしばたかせ、「あぁ、そう? 何、ババァでも怒り出した? バルドー将軍」と鷹揚な声。

すっくと立ち上がったそれは、少し呆れたように腰に手をやり、「そういう言い方はどうかと思いますよ」と呟いた。

「仮にも、一国の指導者です。そうでなくとも、ご自分の母上にそのような呼称を」

「ババァはババァなんだもん。
しょうがねぇよ。
最近、いつにも増して短気で、やンなるよねー。
で?
おまえが戻ったってぇことは、準備は済んだ訳だ」

「……ぬかりなく」

大人しく引き下がった巨体は、どうやらもう一人とも顔見知りらしい。
しばし言葉を失っていた分隊長が、苦々しく引き攣った笑いを浮かべた。

「……へぇ。天下のクロード・バルドー将軍閣下が現れたとありゃ、事態は不穏だな」

背の高い男が、厚ぼったい一重に隠された瞳を、じとりと動かした。
沼の底みたいな澱んだ色を湛えた硝子細工が、僅か、憐れみの気がしたのは、僕だけだろうか?

「……陛下」

「俺はもう、陛下じゃねぇよ。
今やただ、王家に連なる異端児だ。
しかも、現在はそれからも逃げ出して、一介の分隊長」

「……それでも、陛下は陛下です。
どのような民族であろうと、その王族たるやえりすぐりの高潔種。
どのような出児であろうと、高貴な血が流れていることは変わりません」

「へぇ。
案外寛大じゃないの。
てめぇらのボスはそうは思っちゃいねぇのにな」

「母の事は謝ろう。
馬鹿みたいに頭が固いのだ。
他人を見下すしか能のない可哀相な人種だと思ってくれればいい」

「おまえも、同じ血が流れてるって?」

「ははっ……俺はあそこまで判りやすくないよ」

「腹の底に何飼ってるかはわからない……ってな。
で、何だって?
テメェのことだ。
またえげつない手使って勝利確信してんだろ」

「……よくご存知で」

「毒盛ったなら、早く教えやがれ。
何の優しさかお情けかは知らんが、死ぬのがかわらねぇんなら、準備する猶予くらい欲しいもんだ」

「……変わらないな、おまえも」

「そうそう変わられても困るってもんだ、今の段階で元部下たちはてんやわんやしてンだから」

「退路は断った。
ここら一帯のベルンバルト軍は、帝都はもとより東方軍本体とも隔絶される」

「それで?」
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