クインテットビショップの還幸

第4章 戦場の兵士たち



「ねぇー兄貴、本当にイカサマしてない訳? 圧倒的すぎて怪しいんだけど」

「ンだよ、おまえまで疑うのかよー。俺様は至って潔白だし。運の勝利ってやつ? 信じないなら、飯おごってやらないんだからっ」

わざと拗ねたふりをしてみせた分隊長が、出店から受け取った東方の菓子を手に振る。
ぐぬぬ……卑怯だ。
そんな、食べ物で釣るなんてっ。

「食わねぇの?」

「食べるけどもっ!」

悔しいながら、そこはやはり育ちざかり。
しかも帰れば極貧部隊である。
甘い匂いの醸し出す誘惑に抗えず受け取ると、兄貴は心底嬉しそうに目を細めた。
……なんか、いつも思うんだけど、こういう時の兄貴って、母さんみたいな顔すんだよな。
いや、どこからどう見ても男なんだけども。

「ねぇ、兄貴は何でそんなによくしてくれるのさ」

ふと、疑問を口にしてみた。
舞台の上、艶やかに舞う踊り娘に目をやっていた兄貴が、「あぁ?」と間の抜けた声を出す。

「だって、普通はそんなことしないよ。こんなに親身になったりしない」

結局他人だから。
親に先立たれ、親類の家をたらい回しにされた過去。
彼らはいつも言っていた。
この子は家族じゃないんだから。
確かに、家計が苦しい中に、ある日突然食いぶちが増えれば厄介者でしかないのだろう。
働かなければご飯が食べられない。
僕はそうやって生きてきた。
だから早々と軍隊に入ったし、こんな物騒なことだってしてる。
かつて、裏切られ蔑ろにされつづけた僕は、基本的に他人を信用していなくて、笑うこともしなかったと思う。
赴任してきた時もそう。
絶対他人は信じない。
いざとなったら、他人を盾にしてすら生き延びようと。

兄貴は、暫く考えるように視線をさ迷わせていたが、「ううん」と唸り、少し淋しそうに笑った。

「俺にも、おまえくらいの弟がいるからかな。だからどうしても、子供扱いしてやりたくなる」

「弟?」

驚いた。
兄貴は、自分のことをあまり語りたがらない人だったから。

「へぇ、いいなぁ兄貴の弟! なんか、可愛がられてそうじゃん仲いいの?」

僕に兄弟はいない。
いたら、何か変わったかもしれなかったが、残念ながら僕はいつでも一人だった。
だからこそ、独りで生きることを余儀なくされたし、若年にして達観した、と言われるしたたかさの所以なのだが。

「だってさあぁー、分隊長の兄弟だよ? 最っ高ォじゃん! あーいいなー、僕もそんな兄貴欲しかったなー」

僕の、凝り固まった心を熔かしたのは、仲間だった。
子供扱し、時には腕力に訴え、諭して、素直に何かを示してくれる。
中でも特に仲のよい分隊と言われる場所に派遣されたのは、やはり僥倖だったと言えよう。
上位下達。
それすら意味を失う、絶対的信頼の《家族》。
それを作り上げたのは、外ならぬ分隊長なのだ。
だからこそ、そんな彼の血の繋がった存在というのは更に強固なものだろう。
素直に思ったことを告げると、分隊長は、少し苦笑いになる。
そして、淋しげに首を横に振ると、静かにナインを呟いた。

「早くに親父が死んじまって、とにかくがむしゃらに生きて来たんだ。
生きる為だったら、何だってやった。
どんなえげつないことだってやった。
ただ、俺が苦労したから、あいつにはそんなもの背負わせたくなくて厳しいことばかり課してきたからな。
正直言って、好かれる要素が更々ない」

兄貴は、ふっと、目元を和らげ遠く視線を飛ばした。

「俺はさ、あんまりあいつにしてやれたこともないんだ。
一緒にいることもない。
こんな仕事してると、周りの評判も悪いから多分あいつはそんな噂しか聞いてねぇだろうし、正直訂正してやるのも面倒臭いってのもある。
そんなこんなが重なって、いつの間にかだな。
目ぇ合わせるだけで怯えられるようになっちまった。
ま、何となく分かってはいたし、別にあいつが生きて行けるだけの人格育てられたならいいかーって思ってさ。
今は努力してくれてはいるみたいだが、それでもふとした瞬間に恐怖の目が向けられる。
……もう十分だろう?」

諦めたか、達観したように微笑んで、分隊長は舞台に目を向け直した。
まばゆいばかりのそこには、複雑に入り組んだ音楽というステップを、鮮やかに踏み抜ける躍り娘の姿があった。
薄い、どこか透明感のある衣装が、風を孕み、流れてきらり輝く。

「人殺し、鬼畜悪魔、何でも言われてきたからな。
事実である以上、否定も言い訳もしないさ。
ただ……虚しいだけで」

「でもそれは、生きていく為に仕方なかったことだろう?
軍隊に入らなきゃ食べていけなくて、軍隊に入ったからには人を殺さなきゃいけないんだから。
仕方ないんじゃん。
それを責められるのはお門違いだろ。
前の王様みたいな、酷すぎるのはいけないだろうけどさ」

僅か零れる明かりに照らされた分隊長の青の瞳が、水を刷いたように見えて、ぞっとした。
諦めと絶望と、納得する為無理矢理自分を押し込んだ虚無感。
少し前の僕は、きっとこんな顔をしてたから。

「……その人ってさ、ホントに兄貴のこと嫌ってるのかな」

疑問は言葉になった。
ゆっくり上げられた視線が、実像の僕を映す。

「弟君。兄貴のこと嫌ってるのかな、って」

分隊長が、驚いたように目を見開く。
僕は続けた。

多分これは、過去の自分へ。
そして、

「少なくとも、僕たちは分隊長のこと大好きだよ。
怖くもないし、頼りになるし、分隊長が、本当の兄貴みたいって言ったら嫌がるかもしれないけど、ホントにそのくらい大好きなんだ。
分隊長の為だから頑張れるし、他の人なんかじゃ勤まらない。
従いたくないもの」

僕の過去を救いながら、己は救われない可哀相な大人への免罪符を。

「僕、兄貴の弟がいいなぁ。
毎日が楽しそうだもん」

ふと、顔を歪めた分隊長が、苦笑まじりに僕の頭を引き寄せた。
力任せに首を抱え込み、切り揃えた頭を掻き乱す。

「てめぇ、この、ガキのくせにいっちょ前のこと言おうとしやがって!」

「痛い痛い分隊長、首しまって……!」

「おまえなんか酸欠で暫く黙ってろ! そっちのが世の為になる」

「なんでぇえ!」

上がる悲鳴。
終いにはそれが笑いに変わり、僕らはいつのまにか、二人馬鹿みたいに笑っていた。
滲んだ涙を拭き、やんわり笑みを浮かべた顔が、優しく一度、頭を叩いてきた。
影になる表情。
ふと影のかかったそれに、本物の憂いが灯ったことを僕は知らない。

「……でも、どんな状況があっても人を殺すことは肯定しちゃいけないんだぜ、坊主……」

囁きは、耳に届く前、溶けて消えた。

  *  *  *  *

肩を叩かれて、分隊長が振り向いた。
立っていたのは、剣を吊った屈強な男二人。
分隊長が、一瞬鋭く視線を飛ばした。
あの人は、雰囲気で敵味方を察知する。
適確なそれに、僕はようやく彼らが僕らにとっての敵で、ここが敵地だということを思い出した。
走る緊張。
それすら感じさせないように、分隊長はへらりと笑う。

「あれぇ、どうしたんですか? 一緒に酒飲むには、随分物騒な装備ですよぉ」

一般人を装い、目をしばたかせた。
こういう時は、どんなに後暗くても堂々としておけ。
分隊長の教えだ。
挙動さえしっかりしていれば、たいていは引き下がる、と。
しかし、そんな願いも虚しく、男たちは冷たい目を光らせたままだ。
さりげなく柄に置かれた手。
いつでも抜けるようにだろう。

「身分を証明できる物を」

差し出された手に、酔ったふりをして酒を乗せる。
一瞬分隊長が目を見張ったが、そこは僕だって心臓に毛が生えたと名高いメッサー班の一員だ。
わざとらしいばかりの馬鹿笑いを上げて、無理矢理その手をにぎりしめた。

「なぁんでこんな日に仕事なんてしてるんすかー! 飲みましょうよー飲みましょうよー。今なら、うちの兄貴が奢ってくれますからー」

「あっ、おまえ……っ、勝手になんて約束をっ!」

「いや……我々は責務の……」

「いいじゃん、兄貴! 今日は飲んでいいっつったべ!」

「だからって、他人まで誘うんじゃねぇ、馬鹿! 俺様の財布の心配もしろ!」

直ぐさま察してくれたらしい分隊長と、それっぽい言い争いを繰り広げていると、流石真面目な兵隊さん。
呆れたように「……いや、もういい」と呟いた。
返される踵。
実は上がり切っていた心音が、ようやく人心地ついた。
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