クインテットビショップの還幸

第4章 戦場の兵士たち



会議は、喧々囂々だった。
急先鋒は、勿論分隊長。
いつも飯の質にばかりぶちぶち言ってる姿はどこへやら。
知らぬ存ぜぬ、ないものは出せぬと宣う上層部に、悠然と食ってかかる。
絶対的な物資不足。
その認識は全分隊にあったらしく、出席者の殆どが彼の味方をする。
きっと、分隊長が纏めたのだろう。
強硬な上意下達主義は、それだけで組織の固着を招く。
上が下の意志を汲み取ろうとしない限り、下は不平も我慢せねばならない。
例えそれが生命に関わることでも、だ。

「食料が満足に支給されない以上、兵の不満は募ります。今はまだ何とかなりますが、このまま冬まで延びた場合、自然手に入る食料も尽きる」

「我々が恐れているのは、民間被害の方だ。飢えた兵たちが市民を襲う、若しくは奪う。勿論、皆我が軍においてはないと信じてはいるが、残念ながら人間というのもピンキリでな。有事で入れ代わりが激しい今、至らんことを考える輩がいないとは断定できないのだ」

「そうなれば、民は敵国に味方するでしょう。必然、信頼を失った我々は針の筵。内部も疑心暗鬼で総崩れとなります」

積極的に援護するのは、よく共同作戦を張る同じ小隊の分隊長だ。
ほら、あの日も相談に来てた奴。

しかし、相手も強硬。

「予算自体がこんのだ。仕方なかろう。それに、今必要なのは武器兵力だ。ただでさえ少ない予算をそちらに割かねばならんのだから」

「武器の類ですら何度申請して補給されますかっ! 武器兵力とおっしゃいますが、武器がなければ新兵を派遣する際持たせて下さい! 彼らに丸腰で戦わせる気ですか?」

「我々も努力はしている!」

「ならば、何故税は上がるのに補給は増えないのです!」

「戦端が拡大しているのだ! 必要なのは我々だけではない!」

逆上した大隊長と、他分隊長のやり取りをハラハラしつつ見守っていると、不意に隣から笑いが漏れた。
聞き取れるか取れないか程の小さな笑い。
視線を移すと、分隊長が口端を上げていた。
普段の姿からは想像できない、うっそりと後暗い笑みで。

凄まじい音がした。
身を跳ねさせ、目を戻すと、件の大隊長が顔を真っ赤にして書物を手にしていた。
先程の音は、彼が手にした本を閉じた音だろう。
骨と皮ばかりの落ち窪をだ瞳をぎょろりとさせて、大隊長は「終わりだ」と呟いた。
妥協する気も、もはや話を聞く気すらないらしい彼らは、自分たちが正しいという目をしたまま一斉に立ち上がった。
罵声が飛ぶ。
だが、拒絶した背は止まることがない。

「無能どもが」

呟いた分隊長は、ゆっくりと瞳を閉じた。

「確定、ですかね」

食いかかっていた分隊長が戻って来て、声をかけた。
相当ヒートアップしたのだろう、額にはうっすら汗が浮いている。

「だろうなぁ。あの様子じゃ、確実にやってんね」

「えっ? 何を……?」

元来のでしゃばり癖だ、思わず口を挟むと、二人は一瞬驚いたように目を丸くして、困ったように微笑んだ。
と、頭に手が乗せられた。
遠慮もへったくれもなく、くしゃくしゃ掻き交ぜられる。
あ、これは子供相手とはぐらかす気だ。
気付いても、どうしようもない。

「気にすんな、こっちの話だ。それより、さっ。終わった終わったぁ。早くこんな面倒なとこおさらばしようぜ」

ぶすくれた俺の姿に気付かないふりをして、分隊長が立ち上がる。
皆卑怯だ。
だって、この世は上意下達。
下は意志すら告げられない。

「ちょっと寄り道していくか」と、分隊長が笑ったのは、建物を出てすぐだった。

驚いて「だって、早く帰らないといけないんじゃないの?」と口にすると、悪戯っぽく口元に指を立てる。

「会議が長引いたっつっとけばいい」

ほら、早くと。
取られる手に、しばし思巡したが、当の責任者がいいと言うのだ。
ちょいちょいと道を逸れ、草っぱらを越える。
再び出た道できょろりと辺りを見回した。
木々の繁る先、遠く喧騒を聞いて、ハッとした
見覚えがあった。
ここは、確か……。

「……兄貴、ここって……」

「うん。国境の先」

しれっと答えた背中が、ずんずんと先へ進みだす。
えぇっ、ちょっと待ってよ。
慌てて後を追うと、やはり見慣れた光景が流れるのだ。
ほんの何ヶ月か前までは、僕の国だった場所。
隣国との国境近かったそれは、今や進行してきた軍勢により地図を書き換えられ、今や立ち入れぬ敵国の筈だ。
見つかったら殺される。
ぞわり走る悪寒に、しかし分隊長は気にとめない。

調えられた道を辿り、見えて来たのは活気ある街。
かつて、東の一大栄華と呼ばれた都。
家が貧しかった僕は、一度だけ遠くから眺めただけの華の街。

「ねぇ、兄貴ヤバイんじゃない? まがりなりにも敵国だよ? 見つかったら殺されちゃうよ」

「だあいじょぶ大丈夫。一般人にゃ国境なんて関係ねぇことだし。あっちもさ、こんな一大都市敵国民だから、って他国民締め出す筈ねぇさ。税収は増えるにこしたこたないしな。一般市民のふりしてろよぉ、ま、多分捕まっても捕虜条約で悪いようにゃされんって」

頑丈な城壁を尻目に、兄貴が何事か告げると、門番は咳ばらい一つ呆気なく通してくれた。

「何て言ったのさ?」

不思議になって問うと、

「弟の筆下ろしに来たって」

…………?

「……あ、」

「うん、質問禁止なー。そのまま純情でいてくれ」

何を悟ったのか、兄貴はからからと笑った。

「この街は、三代前の王、アルベルト一世が貿易都市に併設する形で娯楽設備を拡張したのがはじまりだ。各国から輸入される物産はもとより、南方文化の温泉、飲食店から歓楽街まで一通りは揃ってる」

で、今回用があるのはここだ。

慣れた足どり、兄貴が指し示したのは昼間から煌々と明かりの燈された巨大な建物。
こんなの見たことない。
口を開けたまま、半ば呆然とする僕に苦笑し、兄貴は答えを示してくれた。

「カジノだよ」

どこに持っていたのか銀貨を一枚僕の手に、さぁと問い掛ける。

「好きなように増やしてみろ」

  *  *  *  *

「で、見事に負けたのか!」

盛大な笑い声。
自分でも分かるくらいむすっと顔をしかめた僕の背を叩き、分隊長は笑った。

「しっかたないじゃん、ルールは兄貴たちに教えられてるけど、実際にプロとやったのは初めてだったんだから」

何でこの人は、こんなに人の傷をえぐるかな……。
叩かれる手を苛立ちまざりに引きはがすと、兄貴は未だ収まりきらず喉を鳴らしつつ、「で、残りは」と目を細める。
僕は、彼の手に銅貨一枚を乗せた。
心許なさ倍増の額。
鈍い色に輝くそれを手の中で転がし、兄貴は不敵に目を細めた。
指で弾かれたそれ。
キラリと輝き、手に戻る。
あっ、と思った。
兄貴の表情が変わっていた。

「いいぜ、トア。今からお兄さんが、本物の錬金術を見せてやる」

そう言うと、兄貴は迷いなくルーレットへと向かった。
赤と黒。
奇数と偶数の織り成す螺旋迷宮。

「錬金術って……兄貴、どうせ色に賭けてもせいぜい二倍じゃん」

挑戦者の出目は揃っている。
零が出れば、親の総取り。
ぶつくさ背後、付き従うと、兄貴はしばし盤上を眺めた後、ある一片にコインを置いた。
たった一つの数に。

ルーレットが回される。
速度速くちらつく赤と黒が、奇妙な酩酊感を醸し出す。
出た目は。

  *  *  *  *

「いやー、勝った勝った! ひっさびさやったけど、案外なんとかなるもんだな!」

大量の金貨。
抱えるのすら億劫になるまでに増えたそれは、恐らく今日一日で使い切れるものでもない。
あれからの連勝に次ぐ連勝は圧倒的で、僅かだった軍資金は、あっという間に二倍三倍、何十倍に膨れ上がった。
最後にはいぶかしんだ別の客が、いかさまだと因縁すら付けてくる程に。
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