クインテットビショップの還幸

第4章 戦場の兵士たち



「お兄様、どういうことですの!?」
重い頭。
もはや、そんなこと考えすぎて容量が焼き切れた。
尋常ならざる剣幕で迫る妹を振り払い、私は痛みを覚える頭を押さえた。
疲れから、昏倒するように倒れ込んだベッド。
寝乱れたままの私をたたき起こし、小鳥は叫ぶ。
予想していたとはいえ、まぁ。

突然の連名告示。
期限切れとともに、東は国境超えをはかったらしいが、我が国は未だ宣戦布告に留まっている。
……しかし、彼はあの己が前に出る戦闘国家ではない。
ベルンバルトならば背後を固めるをよしとしたが、そうはいかないだろう。
いつかは我々も出ねばならないか。

「お兄様は、ベルンバルトを見捨てるおつもりですか!?」

耳元、怒鳴られて、かっとした。
あまり怒らぬことに定評のある私。
しかし、限界というのはある。
彼女が悪い訳ではない。
そこまで追い詰められていたのだ。
ふふ、悪い笑みを漏らし、口元を上げる。

「でしたら、コンスタンツェ。貴女は、我が国にベルンバルトと共倒れしろとおっしゃるのですか?」

「えっ……」

逃げかけた腕を捕らえ、呆れる程の哄笑。
彼がよく使う手だ。
幸い、血の昇った頭でも、すんなり言葉は汲み出せた。
ふふ、ふふふふ!
それだけ思い悩んでいたからね!

「カミーユは狡猾です! ベルンバルトを落とすことだけを目標に、着実に首を絞めている! 水面下で、着実に! 貴女、想像ができますか? あのベルンバルトが押さえられる未来しか、今や存在すらしないのです。もはや、外堀は埋まった。後は吉鳥を落とすだけ。変えられない未来なんです!」

驚いた少女が息をのんだ。

「それは、どういう……」

吐き出された言葉は、絶望を孕んで痛々しかった。

「参戦させられたのは、我が国だけかもしれない。けれど、《喜んで参戦した》のは他にいる、ということですよ」

それも、強大な。
鳥を落とす、毒矢たりえる存在が。

「ベルンバルトですら単体で手を焼く、北の一大連邦。アズバラン大帝国の皇帝は、カミュの側の人間です――」

 ※  ※  ※  ※  ※  ※

「へぇえ? 案外面白い話」

目の前の少年が、くすくすと囀った。
まだ青年への過渡期の身体は細く、今にも折れるのではという不安にすらかられる。
しかしながら、普段極寒の極北を、重く分厚い毛皮を引いて闊歩している潜在能力は、決して伊達ではないのだろう。
そういえば、あの少年も同じくらいだったか、と思い至って、苦笑が漏れた。
まだ、子供ながら引き出された支配者。
違うのは、この少年の方が全てを受け入れられている、ということか。
かつて血みどろになっていた幼なじみですら、もっと修羅のような必死さがあった。
その上に積み上げられたのは、自信や傲慢不遜。
威圧のみに特化した獣の国。
対して、彼は妙な所砕けている。
だからこそ、救いのない姿というか。

「俺としては、全然おっけぇなんだけどねぇ、元々俺ンとことベルンバルト仲良しじゃあないし」

たださぁあ?
長い睫毛。
上げられた先、覗いた灰色の瞳が煌めく。

「こっちとしては、その目的を助けちゃうとなると、あのボーシュちゃんが生き残っちゃうんじゃん? それは、嫌なんだよね。捕まえたらさっさと首吊っちゃってよ。二三日したら、死体ミンチにして鳥葬にしてあげる」

「……あ、あの……さ」

「あんたも馬っ鹿だよねぇ、あの極悪人嫁に貰おうっての? それだけで人の道に反してるよ! 悪魔と寝れる訳? 魔女はサバトで悪魔召喚して交わるってゆーけど、あんな悪魔、魔女でも願い下げだね。あーあー、気が知れない。頭切り取ったら蛆でも湧いてんじゃん?」

けらけらと笑う口。
薄い唇に覗くのは、彼の一族によく見られた、発達した犬歯だ。
かつて血の温存の為、近親婚を繰り返した為だと説明した男は、もはや霞がかって記憶すら不確かだ。
まぁ、予想はしていたが。

「……相当嫌ってるよね、アーデルベルトのこと……」

渇いた笑いに呟くと、眼中、高笑いを響かせていた影が、ぴくりと固まった。

「好いてる人間なんか、いるの?」

きょとり。
さも当然のように呟く彼に、何故かぞっとした。

「単なる他国の内政だってのにさ。反乱軍に手え貸されてさ。そのお陰で引きずり落とされてぇ、そんなこと、許せると思うの?」

上がる口角。
猟奇的に彩られる、幼い姿。
齢十五。
《彼》と――奴最愛の鳳寿品と同じ時を重ねた少年。
しかし、その人生は。

「ベルンバルトはさ、むかつくじゃん。二代アルベルト。あいつが、軍送らなきゃ俺たちだって、あんな糞みたいな生活しなくてよかったんだ。なぁ、蛙喰らいさんよぉ。あんたたちにゃ想像できないだろぉ? 敗戦の将が、いかにして汚泥に塗れるか。泥水啜って生き延びようと、栄光の首都を捨てなきゃならねぇか」

懐かしい蔑称に、鼻を鳴らした。
輝かしい栄華の裏には、必ず血に塗れ泣くものがいる。
あいつ自身、並々ならぬ苦しみを抱えていようが、そんなのお構いなしに、加害者は加害者でしかないということ。

「こぉわかったぜぇえ……? 自国民に毎日怯えて暮らすんだ。しかも結局、亡命しようと決めた矢先、追っ手に捕まっちまった。顔色一つ変えずに殺してった。想像がつくか? 家族が目の前で一人ずつ、殺し殺される姿。あははは、ははははっ! まぁっさらな雪に紅が映えて、きれーでやんの……」

嗚呼。俺は、静かに目をつむる。
白なんか見たくない。
彼の見た紅を、幻視するような気がしたから。
ベルンバルトの、飾られた栄光。

「なんっでか、俺だけ殺されはしなかったけどさぁあ? 親父殿に母様。歳の離れた姉ちゃん二人と、その旦那。小さかった妹までぜぇんぶだ! あんなん、人間じゃねぇだろ嗚呼あれが悪魔でないって、ああ!? くふふ、だからさ。俺は嫌いなんだよね。あの血みどろボーシュも、ベルンバルトも、当時の王があれなら、息子は鬼畜! だったら、今の王位の子だって同じ血流れてるんでしょう? 悪魔の血縁は悪魔だよねぇ! あは、悪魔は駆逐しないとな!」

あははははっ!
狂ったような笑いに、半ば頭を抱えた。
ふむ、なかなか思っていたより根深いらしい。
仲間に引き入れるなら、領土をいくらか与えれば食いつくかと思ったが。
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