クインテットビショップの還幸

第4章 戦場の兵士たち



期限の日。

最終確認の為、訪れた帝国の使者は、本人に会うことなくすげなく国に帰されてしまう。

再びの門扉を潜る時、新緑の目をした彼は、こう言った。

《そうですか。
では我々は、そういうことだと解釈します。
嗚呼、お可哀相なお姫様。
さては銘々、お覚悟下さいまし……》

その一時間後。
はかったようにキッチリと、かの帝国は麗しの王国に布告をした。
直ぐさま開始された戦端の咎は、後に【継承戦争】と呼ばれる、最悪の半年間――。


 

例えば、僕がいた部隊と彼の名前、性格、吐き捨てた言葉に、示された善意を説明するのは簡単だ。
しかし、今になって思う。
僕はきっと、彼が一体《何者なのか》という問いに答える言葉は、持ち合わせていないのだ――。


【東部ベルンバルト・スウ゛ェロニア間国境から3里。前線の街】


「トア! 見つかった! 撤退するぞ!」

叫ぶ声が呼ぶ。
僕は返事も蔑ろに走りだした。
鋭いものが風を切る音がする。
相棒の同期は、僕より三歳程年上だ。
と、言っても齢18。
そう、僕に至っては、15の少年兵なのである。
唸り、鼓膜をつんざく矢の音が一つ、二つと増え、同時に土へと突き刺さる鈍い衝撃が肌を震わせる。
分かっている。
これは、運だ。
ここで振り向いては、立ちすくんでしまうから。
だから脇目もふらず、逃げ駆ける。
当たらない、当たらないと念じながら。

根拠のない自信。
それは、恐怖に根差していながら、絶対的な力を持っていた。
何故?

《ボクタチノブタイハ、ゼッタイニシニンヲダサナイカラ》

言い変えよう。

《僕たちの分隊は、矢の雨すら避けて通るから》

たった8人。
されど8人。

3人の年長者に、3人の若者。
それから、僕たち2人の若年兵。
兵力としてはもとない。
しかし、前線に投入されるには意味がある。

《死なないのだ》

神懸かり、もしくはオカルトじみた力でも使うように、誰一人として欠けることがない。
分隊長は、他の部隊ならうっとおしがられるだろう未熟な僕たちですら信頼して、重要な任務を任せてくれる。
大隊長含む上の人たちは無能だ、無謀策士だと噂だが、分隊長は違う。
僕らは、皆、分隊長が大好きだ。
だからこそ、

「トア、このまま隊長のとこまでずらかるぞ!」

弾む声に、jaと落とした。
矢立の音は止んでいる。
しかし、存在を知られた以上、単隊で囲まれる前に体勢を立て直さねばならない。
それに、隊長の所に戻りさえすれば、なんとかなると思った。

がさり、
飛び越える草陰。
ここまで来れば、大丈夫。
上がった息の中、無邪気な子供のような笑い声がまざりはじめた。
うふふ、きゃはははっ!
いい年して、と顔をしかめる人もいるだろう。
不謹慎と詰る人もいるかもしれない。
だが、これが僕たちの日常なのだ。

《永遠に笑ってはいけない理がどこにある?》

ずしりと重い、この世の絶望を背負って生きてきた僕を捕まえて、彼は言った。

《笑え》と。

《厳しい時程だ》

ざわめく空気。
慣れ親しんだ雰囲気を感じ、僕たちは足を早めた。
過ぎる視界。
驚いたのは、先輩たち。
その先、別の分隊長と話し込む背を見つけ、僕らは二人、頷きあった。

「「ぶんたいちょう!」」

「うぎょわっ!? あー、ンだ、おまえらかよ。ったく、何処行ってたんだぁ? 可愛い小猫ちゃんたち、至る所泥だらけだ」

「兄ィ!(にぃ)ウ゛ァン兄貴聞いてよっ!」

僕たちは、我先に話し出す。
呆れた兄貴たちが困ったように笑う。
分隊長と話していた人は、「相変わらず、そちらの分隊は仲がよろしくて」と笑いを堪えていた。
すらりと高い長身。
ふわふわの短髪が、日の光に透けて輝いた。
青い瞳が、愛おしそうに細められる。

神そのものだという、先代の王とは違う。
幸運の女神に愛されたような人。

ウ゛ァン・メッサー。

不死のメッサー隊というのが、僕たちに与えられた呼び名だった。

「わぉ! 肉!?」

野ざらしの大地、乱雑に並べられた皿に盛られたものを見て、僕は思わず歓声を上げた。
男たちの手によって成された武骨な料理の中、明らかに異彩を放つ、その姿。
戦場では、なかなかお目にかかれない、引き締まった鶏肉なんて。

別の分隊にバレ、取り上げられることを懸念したのだろう。
「しっ!」と鋭い目を走らせ、三番目の兄貴が口を塞いだ。
以前、こっそり手に入れた獲物を、上官たちに取られたことが余程悔しかったらしい。

「これ、どうしたんですか? 配給があった訳じゃないですよね? 食糧庫から失敬したんですか?」

「おまえ、失礼だぞ、それ……」

呆れたように反論したのは、壁際で煙草を燻らせていた分隊長本人だ。
前線の中でも偵察任務を担うことが多い俺たちの分隊は、自分たちだけのねぐらというか、居場所を確保している。
高い土壁と木々に囲まれたここは、快適とは言えないまでも、それなりの暖を取るにはもってこいだった。
包丁を手に、塊を切り別けていた二番目の兄貴が、何の気もないように言った。

「突然分隊長がふらっといなくなったと思ったら、持って帰られたんですよ」

「へぇ、ってことはやっぱり、どっかからくすねてきたんだな」

「やっぱりそう思います? 民家だったら困りますねぇ……軍規的に問題が」

「おまえらなぁあ……! あのね、丁重にいただいてきたの! 主人了承済みどころか、こっちが辞退しようが手づから渡されたんだから、仕方ないだろ? おまえらの俺のイメージそんなか」

「はい」

「まぁ」

「……いいぜ、おまえたちには絶食……」

「いやいや、ごめんなさい! 愛してますー、分隊長、ほらちゅうしてあげる」

「いらんわ! いい大人が気色悪ィ!」

まぁ、分隊長が分隊長だから、余程差し迫った戦局でなければ、当の僕たちはわいわいがやがや。
今日も今日とて、分隊長を囲んで八人だけのドンチャン騒ぎとなる。

「それにしても、分隊長って、謎っすよねー」

三番目の兄貴が、散々揉めた後に手にした、一番大きな肉に噛り付きながら呟く。

「ふらっといなくなったと思ったら、食い物手に入れてきたり、防寒具持ってたり、例え知らない土地にいても雨風凌げる場所見つけたり……」

「なんだ、不満か?」

「いえいえ、とんでもない! そのおこぼれに預かれるとあれば、例え火の中、敵陣の中でさぁ」

「ねぇ、兄ィは、本当に《貰って》きてる訳? 一般市民、って僕たちのこと嫌ってるじゃん」

思わず挟んだ口に、二番目の兄貴が僅かに睨む。
この数カ月で、国境線は大きく変わった。
それまで、他国に歩み出ていくだけであったベルンバルト軍は自国地理に疎く、序盤圧され取られた土地はそれでもいくらか残されてしまった。
戦闘に市民は巻き込まないという条約がある以上、何か不義理を働いた訳ではないだろうが、それでも近接した場所で両軍が睨み合っている状況は、一般市民にも負担を強いる。
突然属す国が変わったものは勿論、諾々として取り戻すことの出来ない軍そのものに不満を持つ者は多い。
前政権の影響で、ベルンバルトという国そのものに絶大な信頼を持った者達は。
そんな彼らの怒りの矛先は、身近なものにいく訳で、今や軍の制服でも着て街へ出れば、顔をしかめられること請け合いなのだ。
そんな状況の中、一般市民と意志を通わせ、あまつさえ貴重な食糧まで貰うとは。
……何度聞いても信じられない。

「なーんか、不思議なんだよなー」

「隊長は、人心を掌握するのがお上手だ。それが、初対面にも言えること。それでいいじゃありませんか。難しいことは置いておきましょうよ。今はとにかく」

「食料を腹に詰めるのだーっ!」

小規模な争奪戦となった一同を尻目に、当の功労者は優雅に煙草をくゆらせた。
手に入れる手前、先にいいところを取っているのやも知れないが、僕はこのかた、分隊長が食べている姿を見たことがない。
まぁいいや。
食料より煙草を取る彼に、貴重な配給品ながら一本を交換条件に差し出さない理由はないのだ。

「はっきり言って、配給品だけじゃ足りませんからねぇ。しかも、激マズ」

「それは、調理の腕の問題だぜぇ。あそこまで進歩しねぇのも珍しいけど」

「え? 軍隊の飯って、マズイもんじゃないの?」

「美味しいところもあります。少ない質の落ちた材料から、いかに食べる者を満足させるかを生き甲斐にしている人もいますし。あそこまで、食材のよさを消せるのもある意味才能かと」

「……金は出てる筈なんだけどなぁ。平時であれだ、有事の今、最前線に割り振られる金額は増えてる筈……」

「兄貴、何か言った?」

「なぁんでもねぇよ」

煙草を片手、何やら気難しげに呟いた分隊長に、ちらと疑問をぶつける。
兄貴は、そう。
普段、取っ付きやすい癖に、何だか突然、達観したように遠くを見つめたりする。
スープの中、ゴムみたいな肉を咀嚼しながら視線をあげると、それを妨害するように髪をくしゃくしゃ掻き交ぜられた。
子供を排した戦場。
少しでも大人っぽく見せようと、上げた髪が乱れて少しふて腐れた。
僕、十五歳だし。
兄貴は、僕をとにかく子供扱いしたがる。

「あ、そだ。俺、今日の夜から飯いらね」

「いつまでです?」

「五日後」

「あっ! 兄貴、どっか行くの? いーなー、俺も行きたいー!」

「お前……中隊集合会議だよ……息つまるぞー、頭堅い奴がゾロォリ」

「うっ……」

「お、いんじゃねーの? 分隊長ー、荷物持ちにでも連れてってやってくださいよー。ガキが、ホント小賢しいんだから。したら、ちょっとは静かにすること覚えっだろ」

「む! 兄貴、今すげぇ失礼なこと言われた気がするんだけど」

「ん、気のせいだろ」

「まぁ……こちらの戦況は落ち着きはしましたからねぇ……この前、やんちゃな小猫さん二人が、むりくり偵察行って捕まりかけたから、すこぉし緊迫はしてますけど」

「……すこぉし?」

「すこぉし」

にっこり、浮かべられた笑みに、ぞっとした。
黒い……黒いよ、はは……。

「冗談ですよぉ! 無邪気なんだからもう。大丈夫ですって。私たちを誰だと思ってるんです。不死分隊主戦兵ですよ。例え攻め込まれたとしても、守りきってみせますよぉ!」

「少なくとも、分隊長が帰還されるまではね」

呟いた言葉は、僕にしか届かなかったらしい。

まぁいいか、言った分隊長が思いきり伸びをした。

「物資不足で馬ねぇから、本隊まで遠いぞぉー。ついて来れるか?」

「行く!」

間髪を入れずに返事をすると、困ったように笑い、眉を寄せた兄貴が深く頷いた。
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