クインテットビショップの還幸

第3章 狡猾な愚者――鎖は絞められ憐れな神を括れ



‡啓示よりしばし前、ネインクルツ公国‡

「ほぅ、それで貴方はあの人と一生を添い遂げたい、と……」

くつくつ、寧ろ滑稽なものを見る目で青年は笑う。
そりゃあそうだ。
久方ぶりに古い友人が訪ねてきたと思えば、隣国の麗人を、あろうことか嫁に貰おうと言い出したのだから。
明らかに面白がっている。
……まぁ、国唯一の継承者が、あんな問題だらけの男勝りを伴侶にと言い出したのである。
しかも、男であった時ですら、人間的に不安しか持たれなかった奴が、よりにもよって女。
当然と言えば当然。

「笑い事じゃないよ……」

にやにや見つめてくる青年に、昔宜しく軽口で応じ、肩を竦めた。
しかし、嗚呼。
それはそれ。
ひよひよと背後をついてきた無邪気な幼子も、今や一国の主。

《国どうしを背負う以上、我々は残忍に陥れることもじさない覚悟はできている》

俺の腹のうちなんかいざ知らず、奴はけらけら、無邪気に笑う。
しかし、得体の知れない感覚が腹の底に溜まるのは、やはりお互い成長したということか。

「まぁ……他人の趣味趣向云々に口を出すような野暮はしませんけどね。いやはや、それにしてもあの皇太子陛下といい、あんな男によく好き好んで求婚するものだ」

「のっぴきならない事情というものもあるんだよ」

「どうでしょう? その、のっぴきならない事情とやらで、あの堅物なアーデルベルトが条件を呑むでしょうか」

こいつ、解って言ってやがる。
僅か沸き起こった苛立ち。
確かに、奴は自分が女であることを否定した人間だ。
初めからの大前提として、婚姻に利用されぬよう、頑なに一人立ってきたような奴だ。
国にもそれを求めた奴が作ったもの、成る程ベルンバルトは強大になった。
こちらが、感情や人間性の欠如に目をつぶったとして、今更誰かに屈するとは思えないのである。

《だからこそ、頑なな奴ですら呑まざるをえないまでの外堀を、埋めてしまう必要があるのだ》

俺は、ちらと視線を流す。
こちらの意図が読めないのだろう、訝しげに眉をひそめるのは端整な顔。

《ネインクルツ公国――ベルンバルト最大にして最良の同盟国》

《そしてその国王は、かの不遜な絶対王の縁戚でもある、俺の幼なじみ――》

「まぁ、そう言ってやるな。俺だって、小さい頃のあいつとは長く暮らしたからな。解ってるさ」

「……理解してのそれで? 奇特な御仁は、一人で十分ですよ。はぁあ……何が好きであんな奴にアプローチするのかと思っていれば」

盛大にため息をついた元凶は、この場にいない、誰かさんの為。
無関係なこちらが引いてしまう程アピールを続けた青年は、しかしあれを落とせてはいない。
いつから始まったのか……既に彼方の記憶は薄れ、定かではないけれど、長年同じ光景が続くと、なんと言うか、こちらも慣れる。
もとより多妻、女好きを自称してやまないプレイボーイさながらの人間だから、周囲も特に気にとめなかった。
恐らくは、毎日の行いも関係していたのだろう。
アーデルベルト自体、もはや過激なアプローチにも慣れきってしまっていて、片手で邪険に扱うことすらしばしばの状況。
ふ、
ふふ。

「しかしよかった。アーデルベルトがあれだからな。先手を打たれていたとはいえ、あのフォレストには今の所脈はない」

「……あなた、それ本気ですか?」

訝しむ目。
真正面から受け止めて、俺は笑った。

「本気だよ。完全非公式だったそうだから、他の男どもとは並列だろう?
知っていたのは、三人だけ。
過保護な乳母と、苦労人の騎士、後あの惚けた女好き。
こいつらだけはスタート地点自体が出遅れたことにはなるが、あの犬はあくまでも忠犬だから、奴を異性として扱うことはないだろうし、同性のアンネ公なんかは論外。
残る憂慮点はあの馬鹿ってことになろうが、はっは、見ていても解るからな。
あれは、完全に相手にされていないよ」

だから希望はある。
フォレストは生温いのだ。
自由恋愛?
当人達の意思?
馬鹿言っちゃいけない。
俺達は、物だ。
外交手段だ。
相思相愛なんて願うことすら馬鹿馬鹿しい。
もとより国という強大なものにがんじがらめなのだ。
アピールなんて、するだけ無駄。
拒否出来ぬ程に繋ぎ止めて、早く手に入れてしまえばいいのだ。
はは、
あははは。
あいつは、女になった時点で最高のカードになりえたのに!

「ならば、早々に手に入れるべきだろう? 猿でも解る理屈だ」

「……カミーユ、人は物ではありません。あんな人ではありますが、あくまで人です。人に対しての言い方としては、」

流石な彼も、不快になったのだろう。
眉を寄せ、少しばかり声のトーンを落とす。
しかし、宥める為のその様にも、俺はくすくすと笑みを零していた。
あまっちょろい。
だから、おまえは公国どまりなのだ。

「はっ!
水の王は慈悲深くて素晴らしいねぇ。
なぁ、ゲールハルト。
いいことを教えてやろう。
この世はな、壮大な盤上ゲームだ。
国民一人一人は、微細な塵とて関係ないやも知れないが、俺たちは違う。
プレイヤーは、相手の手筈を読み、自分たちの勝ちを取りにいかねばならない。
時には、別のプレイヤーとの共謀によるイカサマもげさんくらいでないと、生き残ることすら難しい。
解るか?
おまえたちは長年、ベルンバルトの傘の下、第三者気取ってぬくぬくと暮らして来たかも知れないが、俺たちは違う。
なぁ、いい加減解れよ、ゲールハルト。
《俺たちは、愛を語れる程自由な存在じゃない》」

くふふ、
思わず笑うと、青年は端正な顔を歪め、絶句していた。
あは、
ははははっ!

「解るかい、坊や。
俺たちの国は、そうやって栄華を誇ってきた。
今までもそうだし、これからもそう。
欧州を治める為にベルンバルトが必要なら、喜んで喰らいに行く。
その手段として、ベルトというカードがあるなら、手に入れるのが筋だろう。
ただし、俺は狡猾だからな。
絶対の勝利を確信できる戦しかしないんだ。
そして、その意味――解るよなぁ?」

口の端を上げて、指を突き付けた。
青年は、苦虫を噛み殺したように顔をしかめ、目の焦点を外す。

「我が国に、ベルンバルトを裏切れ――と、いうことですか……」

吐き出された言葉は、血に塗れたように痛々しい。
俺は大袈裟に肩をすくめ、言ってやった。

「裏切るなんて、とォんでもない!
これは正式な政策だよぉ?
国家間協調と言ってもいい」

「……はっ。
愚か者が。
我々ネインクルツはベルンバルトの同盟国です。
公国とはいえ、我々にだって誇りがある。
それに、私がそちらについたとて、あのベルトが条件を呑むとは思えません」

「圧力をかければいいだろう。
断れない状況をつくればいい」

「圧力?
馬鹿ですか!
侵略戦でもちらつかせます?
例え私がそちらについたとて、軍事力がベルンバルトに勝るとは到底思えませんが」

「しかし、互角程には持ち込めるだろう?
奴も無下にはできない筈だ。
それに、最大の連立国家が敵に回ったとなれば、ベルンバルトの内政は大混乱だ。
士気がそげれば、戦力は半減する。
だからこそ、歴代の指導者は士気を上げんと鼓舞するし、先制が有利になる理由だろう。
おまえの国に対する信頼は、そういった意味でもいい起爆剤になるのさ」

引き攣った笑みを漏らした彼は、半ばやけくそだ。

「答えを求めるのなら、《否》。
我が国は、ベルンバルトの共同体です!
あのアーデルベルトはいけ好かないですが、悪い人では、」

「五年前――」

熱くなりはじめた議論。
完全な主張を遮るように、鋭く口を挟んだ。
奴の喉元は見えている。
ならば、押さえない理由はないだろう?

「アズバランに属す小国で、大規模ないざこざが起こった。
ベルンバルトは、他国ながら当時の反乱軍に手を貸し、軍隊を派遣。
混乱に乗じ、領土を手に入れた。
まぁ、払われた犠牲は甚大だった訳だが、おかげで同盟規約の為、後方支援に駆け付けていたネインクルツにもおこぼれが来たんだったな。
北の飛び地は、産業の一大都市だったか……」

「……ぅ」

事実だけを淡々と述べる口調は、あいつの十八番だ。
緩急を使い分ける、軍事交渉の天才。
奴が奉られるのは、所謂そういう才能があったからだ。
近くで見てきたから分かる。
敢えて真似てやる。
奴の言葉は、刃だ。
一番弱いところを、えぐる。

「……私を脅す、ということですか?」

「穏便に協力を仰いでるんだよ? 穏便に、ね」

青年は、苦々しく唇を噛んだ。
落ちたな。
堪えていた笑みが零れた。
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