クインテットビショップの還幸

第14章 神よ、我に微笑みたまえ


こつん、こつん。
新聞を片手に、机を叩く指。
こつん。
こつん。

「冷害の影響が残ったなー……このままだと、来年の財政に響く」

うぅむ、と唸って我が主は、ちらり、こちらに目を向けた。
どう思う?
問う目に、僅か笑みを漏らし、俺は静かに目を閉じた。

大人しく帝都に戻ったかつての暴君は、大臣たちとの確約の元、内政に口を挟まないという条件を取り付け城の片隅に安住を求めた。
公式の場には参加しない。
部下も最低限。
王族の扱いとしては、酷いというべきものだったが、訪れる者の減った穏やかな生活は、もとより質素を好む彼には、むしろ好都合だったようだ。
現王様自ら便宜を図られ、再び主の元、仕えることを許された俺しかり。
窓際、口を開くこともなく立つ俺に痺れを切らしたのか、主殿の不満そうな声が上がる。

「……答えろよ」

「はて、何を問われているやら?」

「お前……性格悪くなったぞ」

「勝手に置いてくかだろう。自分に全て非がないと思わないことだ」

畳みかけると、返事の代わりに唸り声。
うっすら目を開ければ、苦虫かみつぶしたような仏頂面が、再び新聞へと向けられていた。
少なくとも、俺はそれが嬉しかった。
奴はまだ、生きている。
手がかかるのは相変わらずだが、まだ顔を合わせて話ができる。
自分が仕組んだことながら、嗚呼なんと素晴らしい。

その時、遠くからバタバタと駆ける音が聞こえ、小さく悲鳴が上がる。
声が次第に意味を成し始めたた時、もの凄い音を立て、沈黙していた扉が開け放たれた。

「兄さんっ!」

「ぶぁっ!?」

驚いた主が新聞から目を反らす直前、もの凄い速度で部屋を横切った権者が、新聞の広げられた机上に飛び乗った。

「く……クラウス、どうした血相変えて……!」

突然のことに心落ち着ける暇もないのだろう、引き攣った笑みを浮かべた主に、少年は両手に抱えた大量の書類を撒き散らし、半泣きで叫んだ。

「助けて、兄さん!」

「あっ、いた! こっちだ!」

扉の外、駆け抜けようとした重臣の一人が声を上げ、見慣れた顔がなだれ込んで来た。

執務机、腰を下ろす主に一瞬たじろぐも、標的を捉え直した彼らは、直ぐさま執務机に歩み寄った。

「公務にお戻り下さい、王! 処理すべき事象がたまっているのですよ!」

「やだあぁー! 数字わかんないもん! フリエーレ補整予算って何だよ、勝手に補整しちゃっててよー!」

「ちょ……クラウス、抱き着くな首が痛ぇ!」 B
「フリエーレは重要な経済発展地区なんです。先の冷害で農作物に被害を受けた以上、力を入れている鉄鋼産業にも影響がでかねないんですよ」

「お前らも、引っ張るなぁあ!」

デスクに攀じ登った少年を引きずり下ろそうと殺到した臣下に対抗し、少年がデスク越しの主へのしがみついたものだから、傍から見ると珍妙な綱引きが始まることとなる。
本人達は至極真面目だというのに、なんともはや……。

「てめぇ、ライマー! 笑ってんじゃねーぞこの薄情者!」

「だって……なぁ」

慕われてるなぁと思って、とは言わないでおくことにする。
無益な力比べは、首に限界が来たらしい主が「分かった、俺がちゃんと教えてやるからとりあえずお前ら全員手ぇ離せ!」と叫んだことで終息した。
よって、今俺の前には、デスクに腰を下ろし、えぐえぐと鼻を啜りながらペンを走らせる少年と、背後から覗き込み、眉間に皺を刻んだまま指図する主。
そして扉の先まで続く臣下達の列が伸びている。
時たま訪れる、けたたましい日常。
浮かべられた迷惑の裏に喜色を読み取った俺は、そっとその場を離れることにした。
そろそろ皆、疲れる頃合いだ。
珈琲をいれよう。
そう、とっておきのやつを。

碧狼―混沌の聖都
...the ende...

→赤翼―追憶の国家
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