クインテットビショップの還幸
第14章 神よ、我に微笑みたまえ
* * * *
「これで、終わりだ」
呟いて、兄さんは静かに目を閉じた。
後はお前も知っているだろう、と、暗に告げる沈黙で。
僕は、一気に叩き込まれた情報に目を白黒させるしかなかった。
「言ったろう? 思ったより酷い話だそ、って」
兄さんは、卑屈に口元を歪める。
「俺は、いつも幼稚な感情に突き動かされてきた。
愛されたい、認めてほしい。
お前が真実だと思ったのは、その一端。
残虐な国王としての俺、逃がした異民に讃えられる俺。
全ては他人が作り出したまがい物。
昔は父の理想ばかりを気にしてきたが、正直、今は誰に何と言われようとどうでもいい。
お前が俺を嫌うなら、おれは喜んで姿を消してやるし、今ここで首の一つも掻き切ってやる。
だがな。
お前が俺を理想と捉えるなら、俺はそれを否定せねばならん。
俺が作ったのは、間違いの世だ。
誰もが目をつぶり、誰もが疎む、悲しみしか残さない世界。
捕虜とした高官を地下に閉じ込めたのもな。
末路を見せておくことで、逃げ帰った彼らはベルンバルトを恐れ、都合よく動く。
何人も殺せと命じた父に知られることもない」
諦めに近い兄の呟きを聞きながら、僕はただ、ぼんやりとした親近感を抱いていた。
かつて、兄は恐怖であった。
軍神で、絶対神で、暴君で。
誰も逆らうことができぬ。
ただ恐れ、避けたいと願う程の。
しかし彼の隠された一面に触れ、敬愛を持つようになった。
触れられぬ、神という位置はそのままに、もしかしたら彼は救いの神なのかと思い込んだ。
語られる物語は綺麗だったから。
隠された事実は神聖だったから。
今。
彼自身の口から事実を聞いて、僕は少し、安心している。
兄は、彼自身は汚いと言ったが。
身を乗り出し、兄の頬に触れた。
一瞬、びくりと肩を震わせた兄が、訝しげに眉をひそめた。
ほらね。
「兄さんは、人間、だから……」
呟いて、下を向いた。
望みさえすれば触れられるし、体温を感じることもできる。
悲しみも苦しみも全部抱えていける強さを持ったが故の悲劇。
拒否していたのは、僕の方。
全てを鵜呑みにし、背負わせていることすら気付かずに、ただ見上げてはため息をついていた。
相手だって、血の通った人間だというのに。
「帰って、来て下さい。帝都に。僕は、ただ――」
回らない舌。
必死に紡ぐ言葉に、兄の動く気配がした。
「クラウス、お前……」
また、己を卑下したのだろうか。
少し躊躇いがちに肩に触れてきた力強い手と、覗き込む空色が。
不安そうなそれは、いつになく感情を含んで。
多分、これが彼の――彼女の本当の姿。
暴君でも、無邪気なものでもない。
誰よりも他人を欲して、でも裏切られ慣れて諦めを覚えた子供のような、そんな純粋な。
「……泣いてるのか?」
躊躇いがちに紡がれた言葉。
そこではじめて、僕は己の頬伝う雫の意味を知った。
「兄さんが泣けないなら、僕が泣きます。
皆が、兄さんに《死ね》と言うなら、僕は兄さんに《生きて》と言います。
だから二度と、何も言わないで消えないでください。
僕は嫌です。
まだ、兄さんのこと、何も知らないのに」
自分でも、何を言いたいのか分からない。
ただ、衝動のまま、胸中燻るもやもやを吐き出したい欲求だけに突き動かされる。
これだけ、
これだけは言わなければ。
「家族に、なりましょう。
男とか、女だとかは関係ない。
擦れ違ってばかりだったけど、僕たちは、たった二人の、兄弟です……っ!」
丸く見開かれた目。
それは、神を奪われた聖職者。
ねえ、兄さん。
貴方が神でなかったように、僕だってただ人間なんだ。
そのもの自体に、神聖な死と神格を剥奪された兄は、絶望と虚無に僅か震え、しかし次の瞬きの合間には、とても嬉しそうに笑ったのだ。
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