クインテットビショップの還幸

第13話 騎士、そして死神を負わされた娘



俺の誕生を、父が喜ばなかったのは知っているな。

――ええ。

父と我が母――クローネ・F・ブライトクロイツは、当初からあまり仲がよろしくはなかったんだ。
母はある国の高貴な出で自我が強く、戦略的地位も高かったし、父は父で志の為なら何でもやるような人だったからな。
父は母を避け、必要最低限しか接触をしなかったし、母も父を半ば悍ましいものとして近寄らなかった。
母が健在の折りには散々父の文句を聞かされたし、父は――まぁあの状態だしな。
今考えると最悪だったよ。
知る人間は皆、俺ができたことこそ奇跡だと言ったな。
少なくとも、父は疑っていたが。
父は俺が生まれた時、心底落胆した。
嫡男ではなかったのだ。
そのためにまた、あの忌ま忌ましい女に触れねばならない。
しかも当の母は、産後の肥立ちが悪く、体調を崩していたからな。
これでは、いつになるやも分からない。
父は焦った。
とりあえず外聞を取り繕う気で、俺を男と偽らせることにした。
もし万が一、正当な後継者が生まれれば、殺せばいい。
父には、その手段というものがいくつもあったから。
しかし、嫡男だと偽った時点で、父はこの俺を相応に扱わねばならなくなった。
外聞だとかは侮れん。
特に王室は醜聞というものを重視する。
父は、疎ましい俺に便宜をはかることを強いられたのだ。
騎士が付けられたのも、その為。
歴代の王には、幼き頃より専属の騎士がつく。
彼らは次代後継者たる王のよき友であり、配下であり、話し相手であり、最高の盾となるのだ。
俺だけを特別扱い出来なくなった父は、臣下の中から特に忠誠高いデルンブルク家の子供をつけることにした。
狼の国と名高い、ベルンバルトの純血。
いわば、腹心だな。

――それは、お父様の力の干渉する余地を生もうと……。

そう。
よくわかったな。
賢い者は好きだぞ。
父は暗に、俺を監視する為にあいつ……ライマーをつけた。
現に、幼いながら、奴の責務の中には、《忠誠を誓い、微細報告する義務を負うとともに、必要とあらばどのような状況をも覆す為力を尽くす》ことを求められていた。
これは、端から聞くと、主たる俺に最良を尽くせと言っているように聞こえるが、実は《真なる主は王である。どんな微細なことでも密告し、一度俺を切り捨てると決めたならば、躊躇なく切り捨てよ》という圧力なんだ。
笑えるよな。

――それは……。

ああ。
邪魔になった時始末する為の手段だったんだ。
まぁ、本人は理解出来てなかったみたいだが。
しかし、これに怒ったのが、母だ。
俺を男と偽ることにすら反対だった母は、王室内、特に自分の周囲では俺を本来の性別である女として扱った。
飾り立てたスカートを穿いたのも、確かあの時くらいだったな。
俺のことも「アーデルハイド」と呼び、取り巻きにもそう呼ばせて淑女として扱わせていた。
必然、俺が産まれた時その場にいた者、本来の性別を知る者たちは母の側につき、何も知らぬ者たちは懐疑と忌避の目をもって父の側に侍った。
宮殿は、真っ二つになっていたんだな。
しかし母は、お産から体調を崩し自由がきかなかったが故、その勢力は劣っていた。
それに加えて、父が腹心の子を騎士につけたことで、危機すら覚えたのだな。
その意図くらい、容易に知れる。
母は、その意志を阻止せんが為、国から親類を呼び寄せた。
俺や、青牙狼章を授けられた騎士、ライマーと同い年の縁戚。
奴に母国たる国の鷲を与え、もう一人の騎士としたのだ。

――殺す者と、阻止する者……。

しかしまぁ、俺達も幼かったし、突如出会った子供らが、簡単に憎しみあえる筈もない。
恐ろしく平和だったよ、あの頃は。

――騎士は確か、次代国王の学友としての存在もあるんですよね。

………クラウス。

――はい?

おまえは確か、俺に勉学では敵わないと言ったことがあったな。

――ええ、まぁ。兄さまは、仕事もお出来になるし、僕なんか足元にも……。

俺はな、

――はい。

読み書きを始めたのは、戦場に出てからだったよ。

――え……っ?

父の方針だったんだ。
傀儡政権を作り上げるには、その方がいいだろう?
父は、自由の利かぬ母から俺を隔離し、必要最低限の教育以外の一切は禁止した。
代わりに、父の代弁者たるライマーは高度な教育を受けさせられた。
父の思想をすりこみ、第二の父となり、背後において君臨しつづけるように。
結果的に失敗に終わったが、子供である俺は、十で戦場へたたき出される迄、国の後継者ながらこの国の書物が読めなかった。
計算をする必要もなかったから、散々苦労したよ。
アーベーセーデーからはじめて、講師は酔っ払いの親父ども。
戦勝の祝い酒ならご機嫌で、敗退ならとぐろを巻いて唸ってたな。
ただ、奴らすげーいい奴で、一兵卒の馬鹿ガキだった俺の質問も、嫌がらず答えてくれたし。
あまりに小さいってことで、後方補給に回されたから、そこで計算も覚えた。
はじめは、小さな班の物資請求が、二年後にはそこら一帯の主になってたんだ。
誰も彼もがお伺いを立ててくるんだ。
十三分隊のメッサーに聞け、って。
嗚呼、メッサーってのが俺の偽名だったんだけどな。
面白かったぜぇえ。
お偉いジジイや貴族様が、末端、泥に塗れてる俺にわざわざ会いにくるんだ。
で、一瞬、きょとんとする。
まんまガキが出てくるンだからな。
楽しかったな。
始めこそ血ヘド吐いたが、二人の部下引き連れて、長い隠れんぼしてるみてぇでさ。
寧ろ王宮に戻るのが嫌でさ。
あそこは地獄だ。
会う度親父は、顔をしかめたし、母は親父の愚痴しかいわねえ。
確かにそうかと思っても、俺にも親父の血は通ってるんだ。
いくら母さんが褒めたたえようと、心のどこかでは痛かった。
やっぱり、要らない人間なんだと思っていた。
戦場は厳しいよ。
後方とはいえ、下手すりゃ死ぬんだ。
四方囲まれて、生きた心地がしなかったことも片手じゃ足りない。
でも、あそこでは俺は存在してもいい人間だったんだ。
頼られて、必要とされて、笑ってもいい人間だった。
だから、我慢出来たんだろうなぁ。
親父は苦手だったし酷い扱いも受けたけど、とにかく望まれたものは全て受け入れた。
父は、女である自覚を持つことをことに恐れたし、母と隔離したのも戦場に突っ込んだのも、たいていその為だ。
だから、秘密裏に山ほど召集された医師たちは、匙を投げたんだ。

《女としての身体の成長を止めるなんて、ありえない》

そんな中、唯一手を挙げたのが、東から来た流れの医師。
奴は、事実薬だけで俺の成長を押さえ込んだ。
女としての成長を押さえるというのは、必然に男として成長が出来るということだ。
あのヤブいわく、女は男より複雑に出来てるらしくてな。
しかし、それは女としての幸せを永久に捨てるということだと言われたよ。
二度と子供は成せんっいうことだ。

――……嫌では、なかったですか?

それで親父に認められればいいと願ってたし、何より俺はあの場所を失いたくなかった。
この世で必要とされるのは、ウ゛ァン・メッサーという男であって、アーデルベルト・ブライトクロイツという女ではない。

――兄さんが指揮官として戦場に出始めたのは、十二歳からですよね?

嗚呼。
調度その年、長らく病床にあった母が亡くなったんだ。
そこ数年は、俺も、殆ど会えてはいなかったし、まぁそんなものかと思ったな。
ただ、俺が王室を離れる間際から、妙な医者が出入りするようになっていたのは知っていた。
ただ、彼は父の息がかかっていない人物で、だからこそ母の信頼を勝ち得たと聞いていたからな。
母の葬儀で、あのヤブ眼鏡から謀殺の可能性を聞いた時は、心底驚いたよ。
父を問い詰めたら、笑いながら言われた。

《嗚呼、あの女は、この国の役に立たないからな》

あの時だ。
父を心底恐ろしく思ったのは。
俺も、父の期待に添えなければ捨てられる。
この人に捨てられれば、生きてはいけない。
その時、たまたま俺の戦地での噂が父の耳に入っていてな。
「上手くやれば使える」と、王室に引き戻されて、突然前線指揮官をさせられた。

――初めて指揮したのは何だったんですか。

当時……現在も片鱗はあるが、北のアズバランが強行南下政策を取っていてな。
スウ゛ェロニアに巨大な戦線が出来ていた。
血みどろの泥沼戦になりはじめていたんだ。
その時はまだ、表面上我が国とスウ゛ェロニアは同盟関係にあったし、女王直々の参戦依頼を蹴る理由がなかった。
本国にまで飛び火してもらっては困るベルンバルトとも利害が一致したんだな。
その上で、俺は《ベルンバルト派遣兵》の司令官を勤めることになったんだ。

――……上手くは、

いくわけないだろう。
ただでさえ、価値観の違う二国の正規軍なんだから。
しかも俺は、国王の実子指揮官として行くんだ。
必然、スウ゛ェロニアの前線指揮官よりも地位は上。
あっちは、自分たちの国ながらによそ者である俺に指揮権を委ねねばならないし、ベルンバルトの兵も結局は他人事でやる気はないしな。
俺だって、戦場にいたとはいえ、単なる補給兵だ。
突然何百もの軍を与えられても、何が出来る訳ではない。
戦経験のあるシリウスがいたから、空中分解こそしなかったが、被害も神大で、酷い有様だった。

戦局はなんとか落ち着かせることができたが、受けた被害というのは大きすぎた。
それまでは、ただ生きて動くことだけを念頭におけばよかったものを、突然全ての責任を投げられたんだからな。
俺の一挙手一投足で、何十という人間が見殺しにされる。
それまでも、昨日笑いあっていた兵士の訃報を聞くことなんか、ザラだった。
……慣れてるとは思ったんだけどな。
怖くなったよ。
毎日、何百と報告を聞き、兵を動かし、盤上ゲームすらやったことのない俺が、命をかけた騙しあいに放り込まれたんだから。
だが、その時二人の騎士に加えて北軍総長殿も一緒だったんだが、あいつらは平然としてるンだ。
こちとら、今日は何人死んだと夜も震えて眠れぬのに、あいつら時間があれば体を休める余裕すらあった。
周りを見回すと、確かにそう。
上の人間……部下に対し負う責任が大きな人間程消耗している。
更によく見ると、同じ地位、責任を持つ者でも、個々の疲労度は違う。
流石に気付いたよ。
更に上位の者を信頼しているか否かで、彼の在り方が違ったんだ。
ライマーたち俺の取り巻きは、俺のことをよく知る。
だから安心して、戦に備えることが出来るんだ。
いわば、戦うこと、俺を守ることしか考えなくて済む。
しかし、各軍の長たちはそれが出来ん。
俺が未熟だからこそ、奴らは負わなくてよい責務を負い、不毛な作戦に従って血を流さねばならないリスクを負う。
だから消耗する。
他のことを廃除して、戦いに集中させることこそ、勝利における全てなんだな。
多分、あの時初めて自分が憎いと思ったね。
死に物狂いで学んだよ。
歴史書から哲学本、心理戦まで。
あんまりやりすぎて、周りは酷く心配していたな。
元々食が細いのに寝食を忘れるもんだから、事実何度か倒れたし。
圧倒的に時間が足りないんだ。
三回目にぶっ倒れた辺りで流石の眼鏡もドクターストップかけやがって、緩くせざるをえなかったが、それでもせいぜい疲れたら三十分の仮眠、のような簡単なものだったし。
ただ、限界は知ってたから楽だったぜ。
多分、俺はこの時までに殆どの極限を体験したんだろうなぁ。
おかげで、どこまで無理できるかは理解できる。
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