クインテットビショップの還幸

第10話 蛮行、後にくる人望



思いきり僕を指差し、唾を吐かんがごとく怒鳴った彼女が、老人に詰め寄る。
苛立ちと憎しみ、汚れたものを見る目で一瞥され、思わず竦み上がる。

「アムリタ。しかし、彼は主の認めた御子だ」

嫌に迫力のある少女に対し、老人は呟いた。
達観した、穏やかな瞳で。

「主が望んでそれをお与えになった。ならば、我が民はそれに従うべきだ」

「私たちの主は、あの方だけよ。こんな気弱そうな子供じゃない」

「しかし主は我々に盟約を下さった。新たな王立ちし時は、我らの覇権を再びお与えになると」

「でも、それが何で主の退位に繋がるの。私たちの主は、あの方だけ。だったら、あの方の再継承を助け、その上で我々を認めて貰えばいいわ」

頑なな少女に、老人は軽く頭を振った。
物分かりの悪い子を諭すような雰囲気は、グツグツと煮えたぎる鍋を掻き回し続けている。

「だったら、お前はどうするというのだね?」

「彼を殺して、もう一回、主に王位について貰う」

冷たい目。
老人の傍らには、調理に使ったのだろう、刃毀れしたナイフが転がっている。
間合い的に、それを手に身を翻すことなどたやすい。
彼女なら。

「お若いの。ちょっとこちらにきなさらんかえ?」

年齢に従い、弛んだ皮に埋もれた瞳が上げられる。
突然のことに、思わず反応が遅れた。
え、僕?

「長老っ!」

「彼を始末したとて、何も変わるまいて。少なくとも、彼は我らが主に認められている。ならば、彼を失えば主自身も喜ぶまい」

声を荒げた少女に、老人は笑った。

「若いの。その恰好からして、なにかあったのじゃろ?」

意味ありげに己の隣を示した老人に、戸惑い思巡する。
彼らは何者なのだ?
何が目的で僕を?
しきりに手招きをする枯れ枝のような手。
相当物騒なことを議論されていた気がするが、今ここで逃げ出しても、僕には地の利がない。
それに、彼らは僕の顔を知っていた。
ならば逃げ出したところで、彼女のように息の根を止めんとする者も出て来るだろう。
結論は同じだ。
ならば、嘘をついている可能性は捨てきれずとも、味方となってくれる人間を選んだ方が生き残る可能性は高いかもしれない。
恐る恐る老人に近寄る。
彼は、座る岩をいい加減に払った後、傍らを示した。
首を掻き切られるかもしれない。
ええい、ままよ。
大人しく彼の隣に腰を下ろすと、機嫌の良さそうな笑い声が響き渡った。

「君、王族の割に無用心だね」

「……はぁ。もし、騙されて殺されることになっても、どうせ殺されるなら一緒かなぁ、と」

「ふむ、物分かりがいいねぇ。でも、諦めがいいのは王族としてはどうかと思うよ。国を統べる者は、意地汚くて諦めが悪いものだ。でなければ、直ぐさま他国に食いつぶされてしまう」

そう、あの方なようにね。
囁かれた言葉。
それは兄。
領土を奪い、尚平然と人を殺す生まれながらの主君。
しかしそれは信頼にはなりえない。
恐怖による支配なだけだ。
確信と同じく絶大な疑問は再び頭をもたげた。
庇護される国民ですら恐れ疎む兄を何故――。

「何故、兄をもう一度主君にしたいのですか……?」

零れた言葉は無意識。
自分ですら驚いたが、突如口を開いた僕にもっと驚いたのは少女と老人の方で。
きょとり、しばたかれた四つの瞳に、今度は僕の方が気圧される。
しばし記憶を辿り、自分の失言に気付いた。
かぁっと頬が熱を持つ。
嗚呼、恥ずかしい!
何か悪いことを言ったんだ、自分では整合性があると思ったんだけど、やっぱり僕は馬鹿だ、黙ってればよかったのに!
それでも口を滑らせたことには変わりなく、僕は渋々、弁を補足する羽目になったのだ。
理由も分からず探り探り紡がなくてはならない様は、さながら敵を探してさ迷い歩くようなものだ。
もとより小心者の僕には、気が休まらない。

「えっと……貴方がたの話を聞いていると、貴方がたが担ぎ出そうとしている主やあの方というのは、先帝である兄……アーデルベルト・ブライトクロイツとしか思えません。
王位を奪ったとか、奪回するだとか……。
兄……アーデルベルトは、恐怖政治を強いていました。
退位の際、一部の国民からは安堵の言葉も聞かれたんです。
国民ですらそうなのに、窺い知る限り、貴方がたがそれ程までに兄を慕えるとは思えないのです。
貴方がたの民族は、二代前の王……父の治世下、当の兄によって粛正されました。
兄は貴方がたを護送する折、非情な措置を強要し、大半を死なせたといいます。
残ったのは、5人だった、と。
その5人ですら兄自ら処刑台へ上げた、と。
もし貴方がたが他国に分散していた同民族であったとしても、同胞を奪った兄を憎みこそすれ、慕いはしないと思うんです。
しかも、貴方がたの口ぶりをみると、その出自は確かに本国のよう。
ならば何故、兄が殺した筈の貴方がたが存在するのですか?
何故兄を支持し、兄に尽くそうとなさるんです?」

一度関を切ると、疑問は次々と形を成した。
何故、
何故、
何故。
騎士は言った。
真実を知ろと。
兄を赦せるのは僕だけなのだ、と。
僕は知りたい。
あの部屋にあったものは何か。
あの場で行われたのは何か。
彼等は何者なのか。
兄は一体――どんな人物なのか。
僕は何も、知らな過ぎる。

「……ホントに何も知らないのね」

ぽつり。
零された息は、少女のもの。

「知ってて黙ってる厚顔無知の馬鹿者かと思ってた」

「まぁまぁ、アムリタも。とりあえずお座りな」

呆然と僕を見つめる少女に、老人が笑った。
どうやら怒りの矛先を失った少女は、握った拳を振り払い、いらだたしげに僕の目の前へ腰を下ろした。

「若い者は苛立っていけないね、どうあがいても焦っても結果は同じなら、のんびり行くがよかろうに。ほら、アムリタ。腹が減っては神経もささくれるよ」

そうごち、傍ら、無造作に積まれていた器に鍋の中身をよそった。
湯気越しに差し出されるそれを、少女がふて腐れたまま受け取る。
鼻を寄せ、すんすんと嗅いだところで変わらぬ怨みがましい視線を向けてくる。
何だか……うん。
警戒する子犬みたいだな。
言ってること物騒だけど。

「ほら、あんたさんも」

揃えた膝の上、不意に乗せられた重みに、思考が停止した。
見下ろすと、湯気立てる器。
中には茶褐色の液体。
え、ちょっと待って。
これって。
答えは何となく分かっていても、宮廷育ちには理解したくない。
いや、これを……え?
視線を上げると、遠慮も躊躇いもなくズルズルと啜る少女と、笑う老人。

「たまーには、下々が食べてる物も体験する価値があると思うよ、陛下さん。大丈夫、毒は入ってないから」

いやー……それは、あの食べっぷりを見れば分かってますけども……。
ごくり、唾を呑む。
ええい、ままよ!
殆ど死ぬ覚悟で器に口を付ける。
舌に乗せた途端、予想より鮮やかな香りが口の中広がった。
あ、案外美味しいかもしれない。
具材は不格好でふぞろいで、飾り気もへったくれもない。
普段食べているものより味が濃く、それでも不思議と美味しく感じた。
が、

「ぎゃああぁ! 蝸牛ーっ!」

「何よ、うっさいわねー。ちゃんと食べられる奴捕まえて来てるわよ。こんなん、普通でしょー」

「普通じゃないよ! こんなの、王室でも食べないもの」

「へー、美味しいのに。王様って、美味いものたらふく食べるもんだと思ってたけど、案外そーでもないのねぇ」

椀の中、転がる固まりを摘みだし、少女は特に何ともないように中身をえぐり出した。
うぇ……!
そういえば、前回の飢饉の時には、蝸牛を食えて兄さんが言い出したって北軍長言ってたっけ……。
あんなん食うのは隣国と南方だって吠えてたけど、そういや彼等の出自も元は南方……。

「ほらね、我々は固定概念が捨てれず、ぶつかっちゃうでしょう?」

老人が手を打った。

「僕たちはこれを食べられる。君達は食べない。ただの感覚の違いでしかないというのに、人間は簡単には受け入れられないでしょ?」

同じだよ、呟いてその小さな目は遠くを見遣った。

「食の概念だとか神様だとか。そういうものばかりに捕われて、受け入れられずにぶつかってしまう。その結果が、我々が国を追われた事実だし、君の親父さんに疎まれた理由だ。
ただでさえそうだというのに、君達は話さえしない。なぁ、アムリタ」

彼は我々の話を聞いたぞ?
そう言って、微笑んでみせた。

「さぁ、お若いの。君はどこへ行きたいね? 華の帝都に戻りたい? それとも、今まできた御仁たちみたいに、国外越境を望むかね?」

「えっ……今までも?」

「勿論さ。この通路はいにしえの昔、元は領地落とされんとする未来に、大事な王族を逃がすため作られたものだもの。それがこの地を時々通り、見知らぬ者が現れるんだな。彼等は黒髪であれ、肌の色が違うのであれ、とにかく一様にボロボロだ。この国の言葉すら解せぬ者もいる。そんな彼等をその口ぶりから四方へ導き、あるべき場所へ帰すのが、今の我々の仕事さね」

帰るんだろう? 王室にだよね。
続かなかった言葉は、しかし雄弁で、思わずこくりと頷いていた。

「アムリタ、案内を」

「えぇっ、何で私が!」
椀を振り落とさんが如く立ち上がった彼女に、老人は何も言わない。
にこにことただ笑っているだけだ。
痺れを切らしたのは、少女。
ばんっと一度大地を蹴り飛ばし、見事な仏頂面を上げた。

「行くわよっ!」

「え……あ、はいっ」

一瞬何のことか分からずぽかんとしてしまったが、それはそれ。
直ぐさま立ち上がって背を追った。
一度だけ、背後を振り返り軽く頭を下げる。
老人は小さく手を挙げ、再び鍋を掻き回し始めた。

「少年たちよ、争いを避けるには対話だ。あの方は、少なくとも我々の話を聞いて下さった。解りあう等出来ぬだろう。何もかもが違うのだ。しかし互いを知ることで、生み出されるものも確かに存在する」
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