クインテットビショップの還幸

第8話 死への行軍



なぁ、聞いたか。

嗚呼、アーデルベルト殿下だろう?
また勝ち分取ったんだって。

すげぇよなぁ、見た奴によると、自ら剣振りかざして切り殺していったらしい。

恐ろしいよ、もしこれが正規の戦争だとしたらぞっとするね。
今回はゴロツキばっかの寄せ集めだったからそうでもないかもしれねぇけどさ。

捕虜は?

なしだと。

へぇえ、珍しい。
敵軍切り殺して、白旗上げりゃ捕虜にして殺すが常套の御仁がねぇ。

異民狩りの時なんかは、女子供まで捕まえて、装備もなしに雪中行軍させたらしいぞ。
おかげで、帝都に着いた時には数える程しか残ってなかった。

その異民は?

殺されたよ。
公開処刑だ。

はあぁ、怖いねぇ……。
生きるも地獄、行き着く先は一緒ってことか。

それを鑑みれば、今回の奴らはラッキーだったかもな。
生き残りは無事逃げ延びたんだろ?
珍しく殿下も深追いしなかったし。

中間地帯だからじゃねぇの?

そんなの気にする御仁かよ。

確かに。
しかし、恐ろしいよなぁ……。
聞いてるだけで身の毛もよだつよ。

臣下の中には、目が合っただけで引き付けおこしかけたやつもいるしな。

おぉ、怖い。
心底敵じゃなくてよかったよ。
敵だったら、それこそ震えて眠らねば。

そうだなぁ。
なんだかんだ言っても、あの人さえ居れば戦は勝つしな。

おかげで、どんなに横暴でも国民には人気だし。

信頼は、あるよな。

クラウス殿下に王位明け渡したって聞いたけど、そこはどうなんだろ。

あの人は優しすぎるからなぁ。
内政はいい方向に変わるんじゃねぇの?

でも、まだ幼いぞ。

アーデルベルト殿下が王位を継承したのも二十の時だ。
そうかわらんさ。

それであれだけの絶対王政敷けるんだから、凄いもんだよ。

まぁ、あの残虐さは昔からだけどな。

アルベルト陛下の時から?

まぁね。
異民狩りやってたのも、その頃だ。
今は大人しいもんだよ、まったく。

しかも、あれで《女》なんだろ?
王女ってがらじゃねぇよなぁ。
自ら剣振るう王女なんて。

どれだけ女傑なんだよ、

狂女なんじゃねぇ?

言えてる!
おっと、狂女様に聞かれるなよ、首でも撥ねられちまう。

ハハハ……、


  ※  ※  ※


陰、書類を片手に聞き耳を立てていた僕は、遠ざかる足音に、小さく安堵した。
どうやら、気付かれてはいないらしい。

臣下の一人に意見具申に行く道すがら、聞いてしまった噂話。

内容は、全くいつもの通り。
いや、違う。
以前のそれはもっと恐怖に満ちていた。

絶対王政に対する悲しみと恐怖と、少しの信頼によってのみ成り立っていた。

世界を喰らう王、世界を滅ぼす神のように。

はたまた、世界を救う、絶対神のように。

今はそう、全てががらりと変わってしまった。
僕を見る目、兄を見る目。
兄の態度も、全てが全て。
兄は丸くなった。
気味が悪いくらいに。
中でもとりわけ大きかったのが、この類の噂話だ。

それまで人々の口端に乗っていた恐怖が僅か掻き消え、現れたのは、嘲り、妬み、そういった負の感情。
流石の僕にでも解った。

彼らは《女だから》見くびっているのだ。

女は劣っていると思っている、
女だから、
女なのに、

急に変わった態度は、そのあらわれ。
父や兄がその事実を隠したがった理由が解る。
見くびられるのだ。
特に、国を背負う間では、その小さな綻びが命取り。
だから彼らはそうあろうとしたのだ。
そうしようとしたのだ。
長き労力をかけ、
永き栄光の背後で。

では、何故ずっと続けてはくれなかった。

不意に、涙が零れた。
あの戦場で、兄は正しく兄だった。
何ら変わりのない、武人で、軍神で、ベルンバルト国王の。
神懸かった力をもって兵を率いる、美しき救世主。

ただ、女という付加価値を得た途端、世界は掌を返したのだ。

だったら、その命潰えるその時まで、墓の底まで持っていってくれたなら。
あの、騎士ならば。
あの、乳母ならば。

彼が彼女であることを知る僅かな者たちならば、きっとそうしただろう。

兄が望めば。

栄光と気高さだけを胸に、死ねただろうに。

「僕は、王位なんていらない……っ」

言いたくても言えない言葉。

口にした途端に腹の底が泡立った。

兄さん、
父さん。

彼等はここが、僕の国だと言う。
僕だけが、この肥沃な大地を統べることが出来るのだと。

「貴方たちは、僕に何を求めているのですか……?」

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