例えば花火が散る時の、

 

:序章:

 

読みにくい文章というのを追求していた時期の作品のため、文字通り読みにくいです。

この章は読み飛ばして差し支えありません。

 

約十六年前。

小さな島国、日本は暗い影を背負い、しかし真っ直ぐに再生へと向かっていた。

佐伯国光が首相へとのし上がり、今まで先送りされていた問題を一挙に負わされた時代だ。

それらの多くは白昼の元に晒され、時の内閣は非難を浴びたが、それでも彼は持ち前のリーダーシップを武器に半ば強引に片付けていった。

元々、日を浴びなかった問題が突如眼前に積まれたからと言って、国民たちが当時の政治家を非難するのはお門違いである。

その全てが歴代の議員たちが残していった物の蓄積であり、そんな議員たちを選んだのは国民すべてだからだ。

むしろ隠されていた国の暗部へと光を当て、それを解決しようとした佐伯総理をはじめとする改革者たちは、感謝されるに値する。

しかし、戦後日本の歴史に煌々と残るこの歴史の影でも、やはり割を食った人間はいたに違いない。

なぜなら、彼らは強い改革者であると同時に、世の汚濁を受け入れるだけの強引さとしたたかさを持った人間だったからだ。

日本の歴史に燦然と輝いたこの時代は、多くの国民がワイドショーに釘付けとなっていた。

選挙に対する国民の関心は年を経るごとに下がっていたし、その時期に限ってワイドショー特有の人騒がせな芸能人の人間関係騒動さえ息を潜めている。

いや、そんなくだらない情報で枠を埋めずとも、人々の関心をえられる騒動が起こっていたのである。

後にヨコイマ事件と呼ばれる一宗教団体のテロ事件が、他人や国家自体に無関心になり、大戦を経て手にした自由をみすみす腐らせていた国民全ての横面を叩いて見せたのだ。

日本の弱点と体制の不備を浮き立たせられ、半ば強引に沈静化させたこの事件も、次第に日本人の中から消えていくことになる。

あの、ニュースで怒涛のように流され、脅威と畏怖の象徴として認知された青い花弁を持つ一輪の花と、その中心、白抜きに描かれた蛇の姿を模した、教団のマークを心の隅に残して。

佐伯政権は無事任期を終え、後にいくつもの政権が立ちニュースをにぎわしたが、彼が去った後の日本は次第に衰退の歩を進めることとなった。

そして約十年後――。

このどこかタレント的な魅力を宿した首相をトップに動いていた日本に、十年の時を経、ある難病が流行することになる。

その経緯をたどると、第二次世界大戦末期の衰退を極めたナチス軍にまで遡ることになる。

伝承には、こうあった。

『我々は、ユダヤ人の死体の山の警備兵だった。

あるものは毒ガス室で、あるものは拷問器具を試すために殺され、人間であったものの山はうずたかく積まれていた。

我々の身長の三倍はあっただろうか。

その山を取り囲むように、私を含めて三、四人の兵が居た。

ある日のことだ。

信じられないことがおこった。

その山の頂上に積まれた死体の一つが、急にふらふらと立ち上がったのだ。

我々はもちろん、その死体を運んできたナチス兵も驚き、その場に立ち竦んだ。

なぜなら彼女は、家畜さえもものの十秒で殺してしまうガス室で、確かに死んだはずだったからだ。

その小柄な少女は、すでに動かなくなった同胞の上に立ち、狂ったようににやと笑ったのだ。

間接は、奇妙な方向に曲がっていた。

すると、その緊張に耐えられなくなったのか、しゃがみ込んでいたナチス兵の一人が、奇声を発しながら銃を乱射し始めた。

それを皮切りに、その少女に数え切れないほどの銃口が向けられ、彼女は体中を吹き飛ばされながら二度目の死を迎えた。

その後からだ。

兵士たちの間で、奇妙なはやり病が流行し始めたのは。

ある兵士は腕や脚、果てには視力さえしだいに失っていき、完全な寝たきりとなり家に帰された。

ある者は頭に回ったのか狂ったようにわめきたて、獣のように自分自身を傷つけてボロボロになって死んでいった。

それも数え切れない人間が、だ。

我々は恐れた。

これは、ユダヤの呪いなのだと』

戦後、感染症はその特異な症状から「NEO(ネオ)」と名付けられた。

しかし「NEO」は最後の国、日本が降伏し、長い戦争が終結を迎えたその時から、発症する患者を極端に減らしていった。

世界保健機構が調査に乗り出したが、「NEO」の正体が弱いウイルスであることと、空気感染を起すこと、現時点で世界中に「NEOウイルス」が広がっていることと、症状が「運動神経や感覚神経・最悪の場合脳内さえをも食らう」ことであると言うこと意外は、治療法も予防法も確立されなかった。

それでも世界は次第にその存在を忘れていった。

なぜなら「NEO」は一億人に一人の割合でしか発病しなかったからである。

次第に風化する「NEO」だったが、突如日本という小さな島国で息を吹き返した。

一億人に一人の割合でしか発症しないはずの「NEO」患者が十、二十と日に日に増えていき、最終的には千人にも登ったのだ。

なす術もなく、突然のウイルスの強力化の原因さえつかめなかった日本政府は、只管にその存在を隠すよう勤めていた。

その時代はまだ、日本各地に「裏」と呼ばれる社会が確立されていた時代である。

戦後最大の混乱期かと噂されたこの「NEO」流行は、じわじわと日本政府の首を切り落としつつあった。

しかしそのさなか、凍結してしまった情勢をひっくり返す情報が降って湧いたのだ。

舞台は警視庁公安部。

潜入捜査を主とした部署だ。警視庁の中で切り離された部署であった公安の中でも、当時極秘に結成され、SATをもしのぐと言われた部隊「TWD」の潜入員の一人が、潜入していた組織からある情報を持ち帰ったのだ。

 

『内部デ特殊ナ薬品ヲ製造。

「ネオ」ノ強化剤ト思ワレル。

名ハ

 

「ジークフリート」

 

ワレ、調査ヲ続行ス』

 

相手に気取られぬよう、旧軍の通信様式で密かに報告された文書には、今まで国家が単なる邪魔な害虫としてしか見ていなかった強硬派組織の予想し得なかった一面が現れていた。

「ジークフリート」。

「NEO」と対になる粉末状の薬品。

予想外の場所から張り手を食らわされた国家は、日本警察、特に潜入員の属する「TWD」に多大な期待と援助を寄せた。

「NEO」の大量発病により傾きかけていた国家は、その原因である「ジークフリート」を滅ぼし、「NEO」を押さえ込むことで政権の復活を望んだのだ。

しかし、その期待は意外な場所で裏切られることとなる。

その組織に潜入していた「TWD」の潜入員が、潜入対象であった組織だけでなく、日本警察さえ裏切り、逃げ出したのだ。

「ジークフリート」をもしのぐ、組織の破壊兵器を持ち出して。

それに焦った警察は、残された「TWD」のメンバーと持てる限りの権限を駆使し、彼の不始末と日本の影に蔓延った害虫を駆除した。

組織の指導者と一部の上層部の人間を除き、確保。すぐさま証拠をそろえ、逃がした獲物も省みることもなく事件に一先ずの区切りを付けた。

しかし彼らは見誤っていた。

この「ジークフリート」を作り出した指導者たちが、いかに執念深いものたちであるのかを。

その後、猛威を振るっていた「NEO」は再び静かに沈静化していく。

これが、約六年前の出来事である。

 

 

2006,8